土方歳三像

全国各地には多くの銅像が建立されており、先人の志を感じることができますが、全互連のブロック会議で先日訪れた北海道の函館市にも数多くの銅像が建立されています。
元町公園にペリー提督、護国神社には高田屋嘉兵衛、啄木小公園に石川啄木、また市内の末広町には「坂本龍馬記念館」があり、龍馬像まであります。
そして今回ご紹介する土方歳三銅像五稜郭タワー内にありました。ちなみに、土方の銅像は東京の日野市にある「高幡不動」と「土方歳三資料館」にも建立されています。


五稜郭タワー内にある土方歳三銅像



新撰組といえば映画やテレビ、小説でも数多く取り上げられており、枚挙に暇がありません。映画でいえば、「幕末純情伝」(1991年)「御法度」(1999年)「壬生義士伝」(2003年)、TVではNHK大河ドラマ新選組!」(2004年)が記憶に新しいところです。小説も多いのですが、新撰組副長であった土方の「いきざま」を描いた司馬遼太郎の『燃えよ剣』は、数多い司馬作品の中でも人気のある小説です。もっとも、幕末を題材とする小説や映画は、ペリー来航から明治維新までの間が、わずか15年ほどであるため、誰を主人公に描いたとしても幕末明治維新の主要な人物が登場することになるのですね。そう、この時代は群像ドラマそのものです。新撰組といえば、局長の近藤勇、一番組隊長の沖田総司、そして副長の土方歳三の3人が突出して有名で人気もあります。


かなりのイケメンです!



では、「新撰組とは何ぞや」と問われても明確に説明できる人は相当な歴史ファンだけではないでしょうか。そこで念のために、Wikipedia「新撰組」の概略説明を見てみましょう。
「幕末の京都は政治の中心地であり、諸藩から尊王攘夷・倒幕運動の過激派志士が集まり、治安が悪化した。従来から京都の治安維持にあたっていた京都所司代京都町奉行だけでは防ぎきれないと判断した幕府は、清河八郎による献策で浪士組の結成を企図。江戸で求人した後、京に移動した。しかし清河の演説でその本意(後述)を知った、近藤勇芹沢鴨らが反発、京都守護職会津藩主、松平容保の庇護のもと、新撰組として発足した。同様の配下の京都見廻組幕臣(旗本、御家人)で構成された正規組織であったのに対して、新選組は浪士(町人、農民身分を含む)で構成された『会津藩預かり』という非正規組織であった。
隊員数は、前身である壬生浪士組24名から発足し、新選組の最盛時には200名を超えた。任務は、京都で活動する不逞浪士や倒幕志士の捜索・捕縛、担当地域の巡察・警備、反乱の鎮圧などであった。その一方で、商家から強引に資金を提供させたり、隊の規則違反者を次々に粛清するなど内部抗争を繰り返した。
慶応3年(1867年)6月に幕臣に取り立てられる。翌年に戊辰戦争が始まると、旧幕府軍に従い転戦したが、同戦争終戦と共に解散した」


土方歳三銅像は大人気!



ご存知のとおり、将軍を守るべき「旗本八万騎」の大半は「へっぽこ侍」にして烏合の衆であり、徳川譜代の諸大名さえ徳川幕府に反旗を翻すなか、新撰組幕臣として最後まで幕府軍として戦い抜くのです。後世のわたしたちは大きな歴史の流れを俯瞰しながら、歴史上の人物を評することができる訳ですが、結果から批評するだけではなく、その人物がその時代に「何を信じ、何を守るために戦ったのか」に想いを馳せなければならないでしょう。


燃えよ剣

燃えよ剣

古来、歴史は勝利者が語ることによって「正史」が創り出されます。
これは洋の東西を問いません。戦後71年目にして日本が「自虐史観」の呪縛から脱却できないことを考えれば容易に理解できることです。土方の生き方を司馬遼太郎の『燃えよ剣』より、司馬が土方をして語らせた名言でみてみましょう。
「近藤さん、あんた日本外史の愛読者だが、歴史というものは変転してゆく。
そのなかで、万世に易(かわ)らざるものは、その時代その時代に節義を守った男の名だ。
新撰組はこのさい、節義の集団ということにしたい」
「たとえ御家門、御親藩譜代大名、旗本八万騎が徳川家に背をむけようと弓をひこうと、新撰組は裏切らぬ。最後のひとりとなっても、裏切らぬ」
「目的は単純であるべきである。思想は単純であるべきである。
新撰組は節義にのみ生きるべきである」
「昨日の夕陽が、きょうも見られるというぐあいに人の世はできないものらしい」



男であれば「節義」を守り通した土方の「いきざま」に、心を強く揺さぶられるのではないでしょうか。事実、土方は函館戦争に旧幕府軍として参戦し、見事に散っていきます。ただ一騎、官軍参謀府に向かい、官軍から「誰何」された土方に、次のような最期のセリフを語らせます。
新選組副長 土方歳三新選組副長が参謀府に用がありとすれば、斬り込みにゆくだけよ」


もちろん銅像の真似をしましたとも!



昨今、利己的で節操のない企業が多く、冠婚葬祭においても「ナシ婚」「家族葬」「直葬」など自ら世の中との関係性を蔑にする人が増えています。
こうした風潮にあって、冠婚葬祭互助会に大義はあるか、守るべきものは何か、それが問われているような気がしてなりません。
「人して何が正しいか」という基準で物事をみなければ、人も、その人が集まった集団、企業も「目に見えない大切なもの」を喪ってしまうのではないでしょうか。
最後に、土方歳三の辞世を紹介いたします。
「たとえ身は蝦夷の島辺に朽ちるとも 魂(たま)は東(あずま)の 君をまもらむ」



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年5月30日 佐久間庸和