たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「兵」です。



ビジネスマンの間で『孫子』などの兵法書があいかわらずの人気のようですが、元来、真のリーダーは儒教書を読むべきであり、兵法書など
は参謀の読むものとされました。日本における帝王学の第一人者・安岡正篤によれば、兵法は、いわゆる戦略戦術というよりも、政治戦・謀略戦の側面が強いといいます。そもそも戦争には兵戦と政戦、軍隊を動かす戦争と、それに伴う謀略戦というものがあります。謀略戦とは政治戦のことです。



孫子』『呉子』『六韜三略』といった兵法書を読んでも、もちろん兵書だから兵戦のことも書いてありますが、それ以上に政治戦・謀略戦のことが書かれています。そもそも『孫子』には、「兵は詭道なり」と書かれています。また、「兵は詐を以て立つ」とも言われています。「詭道」とは、人を欺くようなやり方、正しくない手段という意味です。「詐」とは、いつわること、あざむくことです。



これが兵法の本質であり、あらゆる兵法書に通じる原則なのです。
唐の太宗といえば、中国史の中でも最も偉大な天子として知られます。その太宗と家来の李靖とのやりとりを記録した『李衛公問対』という兵書があります。その中で太宗は堂々と「わしはあらゆる兵書を勉強したが、要するに相手を詐をもって誤らしめる、あらゆる手段で錯誤に陥れる、この一語で十分だ」と語っています。



中国にはこうした文献が多くありますが、それらを見ると、中国の政治、あるいは戦争、政治戦の実体が本当によくわかると安岡正篤は述べています。日本の戦国武将もこれらの兵法をずいぶん研究しました。日本ではこれを軍学と称し、山鹿素行武田信玄も取り入れました。しかし本家の中国では、権謀術数の歴史過程を経て、やがて春秋戦国の時代に入ると、しからばいかにしてこれと対応するかが問題にされるようになってきました。そうして、兵学、つまり戦術・戦略・政戦・政略にだまされたり、もてあそばれたりしないと同時に、これを圧倒してゆくものは、結局のところ道徳しかない、となったのです。



いかなる権謀術数も、やはり人間である以上、最後は「人の道」に勝てません。こういう結論に中国の為政者は到達したのです。そして、修身・斉家・治国・平天下の道義的思想・学問・教養・人物を養うことを第一義として発達させたのが儒教なのです。前漢武帝後漢光武帝儒教を国教としました。日本史上最も成功したリーダーと呼んでもよい徳川家康は、『論語』をはじめとした儒教書も、『孫子』をはじめとした兵法書も、ともに愛読していたといいます。兵法に思想や哲学がないことを見抜き、それを儒教で補った家康のバランス感覚には恐れ入るしかありません。



ちなみに、わたしは、『論語』こそ最強の兵法書だと信じています。
「逃げるが勝ち」ではありませんが、もともと戦いを招かないことがベストな方法であり、そのためのノウハウが『論語』には豊富に紹介されているからです。
なお、「兵」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

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2016年5月29日 佐久間庸和