『老子』

松山からANA590便で東京に入りました。
明日は、互助会保証株式会社の監査役会および取締役会が開催されます。
わたしは同社の監査役を務めていますので、参加する予定です。
さて、「朝日新聞」朝刊に第5回目の「こころの世界遺産」が掲載されました。
今回は、日本人にも親しみのある『老子』を紹介しました。


朝日新聞」5月25日朝刊



老子という人物は、とにかく謎に満ちています。彼が書いたとされる書物も『老子』といいます。神秘的な色彩が強い同書の内容と同じく、老子という人物もまた人間ばなれした不思議な存在としてイメージされます。後世の画家たちのイマジネーションを刺激したように、ただ1人で青い牛に乗って、どこともしれぬ遠い彼方へ去ってゆく仙人というのが、多くの人にとっての典型的な老子像ではないでしょうか。



その最も古い伝記は『史記』の老子伝です。それによれば、現在の河南省鹿邑県東方の人で、周王室の図書館の役人だったといいます。おそらくは伝説でしょうが、孔子が訪ねて礼についての質問をしたといいますから、時代は紀元前6世紀の末ということになります。
やがて老子は周の衰運を予見して都を去ります。その後、関所の役人の頼みで、上下2篇5千数百字の書物を著わした後、消息を絶ちました。



この書物が現在の『老子』であり、『道徳経』とも呼ばれました。
そこで、老子は「道(タオ)」の思想を説きました。「道」とは天地もまだ生じない前からある物としてあり、天地間の万物は「道」のおかげで生成を遂げ、それぞれ所を得ているといいます。老子の思想の根幹は、無為自然の道に徹することです。
そして、その道を徳として日常の中に実現することです。



「道は常に為すなくして為さざるなし」というとき、この無為とは「自然に順う」ことであり、自然とは「もののありのままの姿」でした。すなわち、老子の教えの要点とは、「あらゆる作為を捨てて、ものの自然に帰れ」ということなのです。老子の後には荘子が出て、2人の形而上的思想は「老荘思想」と呼ばれました。道教のベースの1つです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年5月25日 佐久間庸和