涙は世界で一番小さな海

北九州空港からスターフライヤーに乗って東京に来ました。東京では、会長を務める全互連の幹事監査の立ち会い、正副会長会議、理事会などの予定が入っています。
このたびの地震の被災者の方々への支援活動についても話し合います。
さて、「サンデー毎日」2016年5月1日号が出ました。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第28回目のタイトルは「涙は世界で一番小さな海」です。


サンデー毎日」5月1日号



4月12日、わたしは沖縄の那覇にいました。サンレー沖縄による海洋散骨に主催者として参加したのです。毎年この時期に行っています。三重城港から乗った船は15分ほどして散骨場に到着しました。そこから、海洋葬のスタートです。船は左旋回しましたが、これは時計の針を戻すという意味で、故人を偲ぶ演出です。それから全員で黙祷をし、感謝、祈り、癒やしの鐘を鳴らす新セレモニーである「禮鐘の儀」を行いました。



それから、日本酒を海に流すという「献酒の儀」、ご遺族全員で遺骨を海に散骨した後に「献花の儀」が行われました。これも、ご遺族全員で色とりどりの花が海に投げ入れられました。 その後、主催者を代表してわたしも生花リースを謹んで投げ入れました。カラフルな生花が海に漂う様子は、いつもながらに大変美しかったです。



海に散骨すれば、世界中で供養できるという考え方があります。なぜなら、全ての海はつながっているからです。拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)にも書きましたが、ドイツ語の「メルヘン」の語源には「小さな海」という意味があります。大海原から取り出された一滴でありながら、それ自体が小さな海を内包しているのです。



アンデルセンは「涙は人間がつくる一番小さな海」と述べました。涙は人間が流すものです。どんなときに人間は涙を流すのか。それは、悲しいとき、寂しいとき、辛いときです。
それだけではありません。他人の不幸に共感して同情したとき、感動したとき、そして心の底から幸せを感じたときに涙を流すのではないでしょうか。



つまり、人間の心はその働きによって、普遍の「小さな海」である涙を生み出すことができるのです。人間の心の力で、人類全体をつなぐ「小さな海」をつくれるなんて、なんて素敵なことでしょう! 「大きな海」に還る死者、「世界で一番小さな海」である涙を流す生者・・・二つの海をながめながら、わたしは葬送という行為の本質は限りなくファンタジーに近いと思いました。


サンデー毎日」5月1日号の表紙


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年4月19日 佐久間庸和