山田慎也先生の来訪

東京からのお客様をサンレー本社にお迎えしました。国立歴史民俗博物館民俗研究系准教授の山田慎也先生です。専門は民俗学文化人類学で、特に儀礼の近代化に興味を持っておられます。わたしが副座長を務めるアジア冠婚葬祭業国際交流研究会のメンバーであり、ともに冠婚葬祭総合研究所の客員研究員を務める仲間でもあります。先日のインド視察をはじめ、山田先生とはこれまでアジア各地を一緒に訪れました。


佐久間会長と山田先生



山田先生はブログ『冠婚葬祭の歴史』で紹介した本の著者の1人でもあります。同書には、ブログ「葬儀人類学者」で紹介した田中大介氏が、「死と葬儀」の中の「演出効果が求められる」の項で、わが社の小倉紫雲閣を写真付きで紹介しています。田中氏は小倉紫雲閣を本格的な総合葬祭会館のパイオニアとして位置づけていました。その田中氏も今回同行する予定だったのですが、どうしても都合がつかなくなり、山田先生だけが来社されました。


冠婚葬祭の歴史

冠婚葬祭の歴史

ブログ「石井研士先生の来社」で紹介したように、2月1日、國學院大學の副学長である石井研士先生をお迎えし、サンレーグループ佐久間進会長が冠婚事業の歩みについての取材を受けました。今回の山田先生の取材はその葬祭事業版です。冠婚でも葬祭でも、わが社の歴史や事例がプロの研究者によって調査されるのは光栄なことです。小倉紫雲閣に初めて足を踏み入れた山田先生は、とても感慨深そうにしておられました。


佐久間会長がインタビューに答えました



山田先生は、このたび、わが社における以下のようなテーマの調査に来られました。
「互助会サービスの変遷」「葬儀部門の創設と実務」「業務エリアの葬儀形式」「地域社会と互助会の普及」「生前、死後のケア」などです。小倉紫雲閣をはじめ、霧ヶ丘紫雲閣北九州紫雲閣サンレーグランドホテルムーンギャラリーなどを視察されます。


現代日本の死と葬儀―葬祭業の展開と死生観の変容

現代日本の死と葬儀―葬祭業の展開と死生観の変容

山田先生は、1968年千葉県生まれ、97年慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程満期退学、国立民族学博物館COE研究員を経て、98年国立歴史民俗博物館助手、2007年に准教授となりました。博士(社会学慶應義塾大学)。単著に『現代日本の死と葬儀─葬祭業の展開と死生観の変容』(東京大学出版会、2007)、共編著には『変容する死の文化─現代東アジアの葬送と墓制』(東京大学出版会、2014)、『近代化のなかの誕生と死』(岩田書院、2013)、論文「地域おことしての雛祭り」(『国立歴史民俗博物館研究報告』193集、2015)、「現代社会と儀礼の生成─『行事食の変化』から」(『民俗表象の現在─博物館型研究統合の視座から』岩田書院、2015)などがあります。歴博の常設展示で通過儀礼おせち料理、企画展示で他界と死者表象や慶弔用花環の展示なども担当されました。


松柏園ホテルで山田先生と



佐久間会長へのインタビューを終えた山田先生は、松柏園ホテルへ。そこにはわたしが待機しており、いろいろとお話しました。ブログ「人生儀礼を学ぶ」で紹介したように、わたしは2013年4月15日に山田先生の職場である「国立歴史民俗博物館」を訪れ、「人生の外在化」をテーマにした講演をお聴きしました。そのとき、ご著書の『現代日本の死と葬儀』を頂戴したのですが、非常に興味深い内容でした。前夜に同書を再読したわたしは、その内容などについて意見交換をしました。


松柏園茶室の小笠原家の三階菱の前で

茶室で大いに語り合いました



その後、松柏園の茶室へ移動して、夕食をともにしました。わたしは現在、執筆中の『儀式論』の構想について、また冠婚葬祭総合研究所やアジア冠婚葬祭業国際交流研究会の未来についてなどを語りました。山田先生も自説を展開され、わたしたちは日本の儀礼文化について熱く語り合ったのでした。わたしは、山田先生を大変なアイデアマンであると思いました。


サンレー社長室にて



論語』の「学而編」の中の「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」という言葉のように、わたしは「儀礼」や「儀式」について大いに語り合える若き友人が訪ねてきてくれたことを心から嬉しく思いました。わたしは将来、「冠婚葬祭博物館」を作りたいと思っているのですが、そのときは博物館展示のプロである山田先生にアドバイスを頂戴するつもりです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年3月24日 佐久間庸和