儀式とグリーフケアへの想い

ブログ「春季例大祭」で紹介した神事の後は、恒例の佐久間塾および平成心学塾を開催しました。先月から、北陸・大分・宮崎・沖縄の会場ともつながる「ウエブ会議システム」が採用されています。インターネットを利用した相互通信で、音声や画像を飛ばして話せるシステムです。本体にカメラが搭載されている機械を経由して、音声と画像を受けたり、出したりできます。この新システムは2月18日からスタートされましたが、わたし自身はインドから帰国した当日で参加できませんでした。


平成心学塾」のようす

各地とつながる「ウエブ会議システム」



最初に佐久間塾が開かれ、まずは佐久間進会長による訓話が行われました。
佐久間会長は、まず茶道の話からはじめ、きめの細かい「気づかい」「気くばり」「気ばたらき」と当然のことであるとしました。佐久間会長は、さらに「しつらい」「ふれあい」「よそおい」といった「おもてなし」文化の重要性について語りました。


一同礼!

訓話を行う佐久間会長

「和」の精神について語る佐久間会長



また、佐久間会長は「これからは日本の時代であると、多くの識者が言っています」と紹介し、日本文化の基本としての「和」の精神について説きました。
茶道には「和敬清寂」という言葉がありますが、「和」は日本文化すべてに通底する根本精神です。そして、大正時代の社会運動家である賀川豊彦の話題に触れ、協同組合や互助会などのルーツとしての頼母子講に言及しました。最後に「冠婚葬祭互助会という事業は、日本人に最高に適した事業です」と述べました。


続いて、わたしが登壇しました

最初に「ウエブ会議システム」に言及しました



次は平成心学塾に移って、わたしが登壇して講話をしました。
まずは、わたしは以下のような話をしました。
「このようなウエブ会議システムで、各地のみなさんと繋がることができて、大変嬉しく思います。わたしは、テクノロジー、つまり科学技術というのは人間を幸福にするためにあると思っています。電話を発明したのはアーサー・グラハム・ベルですが、その第一声は下の階にいる助手に向かって『上に上がってきてくれ』というものでした。電話の最初の声は、実際に人間同士が会うための言葉だったのです。これに象徴されるように、すべての科学技術とは人間同士のコミュニケーションの円滑化をはじめ、人間の幸福に寄与すべきであると思っています」


「儀式」について話しました



それから、わたしは現在、執筆を準備している次回作『儀式論』の構想などを話しました。
儀礼と儀式」「神話と儀式」「宗教と儀式」「芸術と儀式」「祭礼と儀式」「社会と儀式」「家族と儀式」「人間と儀式」などの視点から儀式について語りました。


次回作『儀式論』の構想について



まず、「儀礼と儀式」について話しました。「儀礼」と「儀式」の違いについて参加者に問うた後、『大辞林』第三版の以下の記述を紹介しました
儀礼(ぎれい)」とは、(1)一定の形式にのっとった規律ある行為・礼法。礼儀。礼式。 「外交−上必要な手続き」 。(2)聖なるものとかかわる慣習的・宗教的行為。 「通過−」
また、「儀式(ぎしき)」とは、(1) 一定の作法・形式にのっとって行われる行事。慶弔に際して行われる行事や組織体が行う行事など。 「 −を執り行う」 。(2)朝廷で行う公事・祭事の礼式作法。また,それを定めた書。 「貞観−」


儀礼と儀式」について


儀礼は英語で「ritual」、儀式は「ceremony」となります。
ブログ『儀礼の象徴性』で紹介した文化人類学者の青木保氏の著書には、「儀礼」と「儀式」の違いという重要な問題について、以下のように書かれています。
「『儀礼』と『儀式』という、これまで社会人類学でさまざまに論じられてきた問題に対して、両者を分けて考える必要があるとすれば、一方の極に、超越的なまた象徴的な事象と大きくかかわる、旧来考えられてきた『儀礼ritual』をおき、他方の極に、『儀式』をおいて、パフォーマンスを含む日常的な出来事と重なるレベルを含むこととする。この全体を指して、儀礼ritualという用語をあてる。しかし、実際に用いるときには、時と状況に応じて、この2つのことばを、そこに示された形式と内容の性質によって使い分けてゆくということにしておく」
わたし自身としては、儀礼とは「文化」そのものであり、儀式とは「文化の核」であると考えます。人間の精神的営為はすべて「儀礼」に通じます。言語も贈与も消費も恋愛も戦争も選挙も、みんな儀礼的行為です。


儀礼・神話・宗教



また、「神話と儀式」についても話しました。
神話とは儀式を説明するために作られたという説があります。
聖書学者のウィリアム・ロバートソン・スミスによれば、古代人が何らかの目的を持って儀式を始めた時には神話とは何ら関係がありませんでした。しかし、時間が経過して元々の目的が忘れ去られたときに、人々はなぜ儀式を行うかを説明するために神話を創り出し、それを祝するためという理由で儀式を行うようになったというのです。
民俗学の父」と呼ばれるジェームズ・フレイザーも似た説を唱え、古代人の信仰は人智が及ばぬ法則を信じることで始まり、やがてそのような感情を失ってしまったときに神話を創造し、それまで行っていた呪術的な儀式を、神を鎮める宗教的な儀式にすりかえたと主張しました。


儀式が先か、神話が先か、それが問題だ!



しかし現在では、神話と儀式の関係には普遍的な判断をつけずそれぞれの民族ごとに判断すべきという意見で一致しているようです。儀式が先行し後に神話が作られたというフレイザーらの説を立証する証拠はほとんど見つかっていません。逆にアメリカインディアンのゴースト・ダンスの例のように神話が先行して存在し、儀式は神話の補強として発達する例が多いです。
宗教哲学者の鎌田東二先生は、わたし宛のメールで「神話と儀式の関係は大変難しいです」とされながらも、「神話を生み出す何らかの『体験』があったと思っていますが、その『体験』は反芻して物語化され、儀礼化されるので、神話元素と儀礼元素は核においては同一とまではいかなくても未分化であり、両輪を生み出す原種子ではないかと考えています」と述べられています。


「儀式とは何か」について語りました



さて、2500年前に孔子が見抜いていたように、儀式には人々を結束する力があります。
最近、『礼記』や『荀子』を再読したのですが、国家や社会を安定させる「礼」のパワーを再確認しました。いわば、儀式の「社会的機能」です。人類学者のラドクリフ=ブラウン、エドマンド・リーチ、レヴィ=ストロースなどは、「社会的機能」としての儀式を論じています。
もう1つ、儀式には「心理的機能」があると思います。
結婚式や葬儀を行うことによって、人は精神的に安定します。


儀式の心理的機能について語る



ユング派の心理学者であった河合隼雄は著書『コンプレックス』(岩波新書)において、儀式とは「水路」をつけることであると述べています。無意識の世界から流れてくる心のエネルギーを、意識の中心としての「自我」が、うまく使って仕事をするというのです。日常の普通に行なわれる仕事のエネルギーは流れやすいですが、日常の普通のことでも、沢山のエネルギーを必要とするときには、「儀式」が必要になります。また、何か新しい事業をやるとき、生活が全部変わる時など、今まで使わなかった新しいエネルギーを必要とします。こういうとき、流れ込んでくるエネルギーの「水路」をうまくつけるために「儀式」があるというのです。わたし自身は、儀式とは「魂のコントロール術」であると考えています。


全国にライヴ中継されました



ところで、18日にアップしたブログ『古代都市』で紹介した本を一読して、わたしは驚愕しました。わたしが知りたかったことがすべて書かれていたのです。「これは、100%わたしのための書物だ」と思いました。そんな経験は、50年以上生きてきたって、滅多にありません。死者崇拝と儀式がいかに人間の文化や文明そのものに影響を与えてきたが詳しく述べられています。本当は、『唯葬論』(三五館)を脱稿する前に本書を読みたかったです。


唯葬論

唯葬論

唯葬論』は、わたしの活動の集大成ともいえる内容で、死者と生者の関係性すなわち「葬」こそが人類の存在基盤であり、発展基盤であることを訴えています。「宇宙論」「人間論」「文明論」「文化論」「神話論」「哲学論」「芸術論」「宗教論」「他界論」「臨死論」「怪談論」「幽霊論」「死者論」「先祖論」「供養論」「交霊論」「悲嘆論」「葬儀論」の18章から構成されているのですが、じつは刊行後に「政治論」と「経済論」も書くべきであったと後悔していました。しかしながら、『古代都市』の読了後はさらに「家族論」「都市論」「国家論」「法律論」を加えたいと思いました。いつの日か、全24章から成る『定本 唯葬論』を上梓したいです。でも、次回作である『儀式論』(仮題、弘文堂)を執筆するまさに直前に本書を読めて本当に良かったです。この1冊で、他の参考文献100冊分に相当します。それほど、すごい本でした。


人間のあらゆる活動の根源には「儀式」がある!



『古代都市』を読むと、都市はもちろん国家も法律も、すべては儀式がルーツであることがわかります。人間のあらゆる活動の根源には「儀式」があるのです。
この本を読んで、ようやく『儀式論』の構想が具体的に固まってきました。
『儀式論』の参考文献は、宗教学、民俗学文化人類学などを中心に、すでに300冊以上の本を読んできました。いま、「儀式とは何か」という問いの答えが明確に見えてきたように思います。『儀式論』では、先人の儀式研究の歩みも紹介するつもりです。


上智大学グリーフケア研究所について



「儀式」の話の後は、「グリーフケア」について話しました。
ブログ「鎌田東二先生からのメール」でも紹介したように、わが社とも縁の深い鎌田先生は、教授を務められていた京都大学こころの未来研究センターを定年退職され、上智大学グリーフケア研究所の特任教授に就任されます。


鎌田先生がグリーフケアの世界へ!



鎌田先生はメールに以下のように書かれていました。
「日本で『グリーフケア』を最初に公式に名乗って、重要な研究と社会実践に関わっている上智大学グリーフケア研究所に今後とも冠婚葬祭業界を牽引する佐久間さんや株式会社サンレーにご支援ご協力をいただきたいと思います」
上智大学グリーフケア研究所のことについては、テーマや内容そのものが佐久間さんご自身や貴社の活動と一致し深く大きく重なり合っているので、広い意味での『儀礼文化』創造の同志的な連繋関係が結べないかとも考えております」
上智大学は日本におけるカトリックの「最強・最大」の組織ですが、上智大学グリーフケア研究所もグリーフケアの「最強・最大」の組織となる予感がします。なんといっても、同研究所の所長である島薗先生と鎌田先生のコンビは強力です。お二人は、日本民俗学を育てた柳田國男折口信夫のような存在感をもってグリーフケアの世界を牽引されることと思います。


グリーフケアへの想いを述べました



グリーフケアは、わたしにとっても現在における最大のテーマです。
わたしも、ここ十年ほどはグリーフケア・サポートの普及に取り組んできましたし、『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)、『のこされたあなたへ』(佼成出版社)をはじめとした多くの著書も上梓してきました。もちろん、わたしは企業の経営者であり、上智大学にとっては異色の存在であると思います。しかし、かつて柳田國男折口信夫とともに日本民俗学の発展を支えた人物に渋沢敬三という方がいました。彼は実業家であり民俗学者でした。
ブログ『民俗学への招待』で紹介した宮田登氏の著書では、柳田國男南方熊楠折口信夫渋沢敬三の4人を「民俗学の四大人」と称しています。


すべては「人間尊重」のために・・・



不遜を承知で言えば、わたしは「グリーフケア界の渋沢敬三」になりたいです!
ブログ「『日本人を幸福にする方法は何か』柳田国男の志」でも紹介したように、柳田が創設した日本民俗学とは「日本人を幸福にする」という壮大な志を持った学問でした。そして、東日本大震災以降、注目されているグリーフケアも「日本人を幸福にする」ためのものです。
というのも、グリーフケアには「うつ」と「自殺」を減らす機能があるからです。


最後は一同礼!



渋沢敬三は、かの「論語と算盤」を唱えた渋沢栄一の孫です。
民俗学者であった彼には、孔子の「礼」の思想が流れていたのです。「礼」とは「人間尊重」のことです。グリーフケアは、まさに「人間尊重」のワザであると思います。
4月14日、東京で島薗進先生、鎌田東二先生と三者会談を行うことが決定しました。7月以降、わたしが上智大学グリーフケアの講義を行うというプランも出ています。
上智大学との連携が実現すれば、わが社のグリーフケア・サポートのレベルは格段にアップし、「天下布礼」はさらに加速すると思います。
このように、わたしは「儀式」と「グリーフケア」への熱い想いを述べました。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年3月18日 佐久間庸和