吉田松陰像

ご存知の方も多いと思いますが、わたしは吉田松陰を心から尊敬しています。
これまで、松陰ゆかりの史跡を訪れては「志とは何ぞや」あるいは「使命とは何ぞや」と心の中で故人と語り合いました。わたしの心の中で、今も松陰先生は生き続けています。


道の駅「萩往還」にて

松下村塾が再現されています



「松陰記念館」を併設する山口県萩市の道の駅「萩往還」には、松陰先生をはじめ、松下村塾の塾生であった高杉晋作久坂玄瑞山県有朋木戸孝允伊藤博文品川弥二郎山田顕義天野清三郎、野村和作の銅像が建立されています。
同じ場所に10体もの偉人の銅像が建立されているとは!
全国的にも稀有な企画ではないでしょうか。実に壮観です。わたしは感動に心震わせながら、志を同じくする社員たち、いや同志たちと一緒に記念撮影しました。もちろん、同じポーズで。


志士たちの銅像の前で

紫雲閣の明日に向かって


わたしが松陰から学んだことはたくさんありますが、何より重要なことは「志」の意味を知りました。結局、最も大切なものは「志」であると思います。
志とは心がめざす方向、つまり心のベクトルです。
行き先のわからない船や飛行機には誰も乗らないように、心の行き先が定まっていないような者には、誰も共感しないし、ましてや絶対について行こうとはしません。
志に生きる者を志士と呼びます。幕末の志士たちはみな、青雲の志を抱いていました。
吉田松陰は、人生において最も基本となる大切なものは、志を立てることだと日頃から門下生たちに説いていました。そして、志の何たるかについて、こう説きました。
「志というものは、国家国民のことを憂いて、一点の私心もないものである。その志に誤りがないことを自ら確信すれば、天地、祖先に対して少しもおそれることはない。天下後世に対しても恥じるところはない」
また、志を持ったら、その志すところを身をもって行動に現わさなければなりません。
その実践者こそ志士であるとする松陰は、志士の在りよう、覚悟をこう述べました。
「志士とは、高い理想を持ち、いかなる場面に出遭おうとも、その節操を変えない人物をいう。節操を守る人物は、困窮に陥ることはもとより覚悟の前で、いつ死んでもよいとの覚悟もできているものである」


萩にある松陰神社にて

松陰の歌が心に沁みました(松陰神社にて)

松下村塾の史跡にて



わたしは、志というのは何よりも「無私」であってこそ、その呼び名に値するのであると信じています。松陰の言葉に「志なき者は、虫(無志)である」というのがありますが、これをもじれば、「志ある者は、無私である」と言えるでしょう。
平たく言えば、「自分が幸せになりたい」というのは夢であり、「世の多くの人々を幸せにしたい」というのが志です。
夢は「私」、志は「公」に通じているのです。
自分ではなく、世の多くの人々。
「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」。
そう、この違いが決定的に重要なのです。
企業もしかり。もっとこの商品を買ってほしいとか、もっと売上げを伸ばしたいとか、株式を上場したいなどというのは、すべて私的利益に向いた夢にすぎません。
そこに公的利益はありません。社員の給料を上げたいとか、待遇を良くしたいというのは、一見、志のようではありますが、やはり身内の幸福を願う夢であると言えるでしょう。真の志は、あくまで世のため人のために立てるものなのだと思います。


松下村塾の講義室の前で



それから、松陰そして彼の一門の生き方から「狂」の大切さも学びました。
吉田松陰高杉晋作の志』(ベスト新書)の著者である一坂太郎氏は、その厳しい宿命を、松陰たちは「狂」の境地に達することで受け入れたのだと述べています。
人々は、先覚者を先覚者とは気づかずに、狂っていると考えます。そんな周囲の雑音に惑わされ、志を曲げないためにも、先覚者は自分が狂っているのだと、ある種開き直る必要があったのです。先覚者を気取り、変革、改革を連呼して支持率を上げようとする現代の政治家とは、根本が違うのです。
松陰の影響もあり、幕末長州の若者たちは、好んで自分の行動や号に、「狂」の文字を入れました。彼らの遺墨を見ると、高杉晋作は「東行狂生」、木戸孝允桂小五郎)は「松菊狂夫」などと署名しています。慎重居士の代表のように言われる山県有朋でさえ、幕末の青年時代には「狂介」と称していました。


吉田松陰と高杉晋作の志 (ベスト新書)

吉田松陰と高杉晋作の志 (ベスト新書)

一坂氏の著書では、題名の通りに、松陰と晋作の志が情熱的に語られています。
松下村塾にも、志がありました。過激な言動が祟り、再び獄に繋がれることになった松陰は、門下生たちに漢詩を残して訴えました。
長門の国は日本の僻地である。しかも、松本村は、その僻地の中のさらなる僻地にある。しかし、ここを世界の中心と考え、励もうではないか。そうすれば、ここから天下を「奮発」させ、諸外国を「震動」させることができるかもしれない。
あまりにも壮大な志です。しかし、松本村の小屋に近所の子どもたちを集めて教えているに過ぎない松陰の発言内容を知れば、案の定、周囲の者は狂っていると思ったに違いありません。どんなに好意的に見ても、若き松陰の青臭い理想でしかありません。
ところが、この志は現実のものになっていきました。「乱民」と呼ばれながらも、「志を立てて万事の根源」とした者たちが、ついに時代を揺り動かしていったのです。


吉田松陰歴史館の前で

館内は、松陰の人生を再現しています

おお、下田渡海!(吉田松陰歴史館)


ああ、獄中の松陰先生!(吉田松陰歴史館)



松陰はその晩年、ついに「狂」というものを思想にまで高め、「物事の原理性に忠実である以上、その行動は狂たらざるをえない」とずばり言いました。
そういう松陰思想の中での「狂」の要素を体質的に受け継いだ者こそ、晋作でした。
司馬遼太郎は、「晋作には、固有の狂気がある」と述べています。その晋作の辞世の歌に題名が由来する司馬の『世に棲む日日』には、松陰に発した「狂」がついには長州藩全体に乗り移ったさまがドラマティックに描かれています。
松陰が生きていた頃は、松陰1人が狂人だった。晋作がその「狂」を継ぎ、それを実行し、そのために孤独でした。その晋作の「狂」を、藩も仲間もみな持て余していました。
ところが、藩が藩ぐるみで発狂してしまったのです。
長州藩1つで、英仏独米という世界を代表する列強に戦争を仕掛けた「下関砲台事件」など、あまりにも馬鹿げた巨大な「狂」以外の何物でもありません。
しかし、その巨大な「狂」が、人類史に特筆すべきレボリューションを実現したのです。
企業においても、イノベーションの実現を真剣に考えるならば、まずは1人の狂人を必要とし、次第に狂人を増やし、最後は企業全体を発狂させねばならないと思います。
あの孔子でさえ、表面上「人格者」と呼ばれる者よりも、「狂者」と呼ばれる者に期待すると説いたのです。この意味を考える必要がありますね。


吉田松陰名語録―人間を磨く百三十の名言

吉田松陰名語録―人間を磨く百三十の名言

松陰先生の残した心魂に響く130の名言を選び、「いかに生くべきか」という観点から解説を加えた川口雅昭氏の名著『吉田松陰名語録』(致知出版社)はわが愛読書の1つですが、珠玉の名言の中で、わたしは特に次の2つの言葉が強烈に心に残りました。
まず、第1番の「志を立てざるべからず」。
松陰は、「志の高さが人生を規定する」と考えました。
日々の生き方は志次第で決まり、変わります。
会社の経営者も、志が単なる希望や望みではないことを肝に銘じて、今の志を常に振り返り、より正しく、大きなものとしたいものです。



もう1つは、第67番の以下の名言です。
「万巻の書を読むに非(あら)ざるよりは、寧(いずく)んぞ千秋の人たるを得ん」。
万巻の書を読破するのでなければ、どうして長い年月にわたって名を残す人になれるだろうかという意味です。読書の重要性を、きわめてシンプルに説いています。
野山獄における松陰は入獄早々から猛然と読書を始めました。
彼はここでの読書ぶりを「野山獄読書記」に書き残していますが、1年3ヶ月の在獄期間中に読破した冊数は、なんと600冊にものぼります。それを知ったわたしは、大変ショックを受けて発奮し、松陰に負けないように読書に励んだ思い出があります。
そのとき読んだ本の中に、儒教、特に陽明学の本が多かったのです。
ある意味で、松陰は「完璧なる陽明学の人」だったと思います。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年3月17日 佐久間庸和