東日本大震災5年追悼式

今年も、3月11日がやってきました。今日は、東日本大震災が発生してから5年目の日です。小倉ロータリークラブの例会場であるリーガロイヤルホテル小倉から急いでサンレー本社に戻ったわたしは、4階に向かいました。14時40分から追悼式が行われるのです。


冒頭、わたしが話をしました



この日、某業界団体から「東日本大震災5周年追悼式」の開催依頼が来ていました。
しかしながら、「周年」というのは祝うべき記念行事のニュアンスがありますので、わが社では「東日本大震災5年追悼式」の名称で執り行うことにしました。
最初にサンレー総務部の國行部長が趣旨説明を行いました。
続いて、社長であるわたしが話をしました。わたしは、まず次のように言いました。
「2011年3月11日は、日本人にとって決して忘れることのできない日になりました。三陸沖の海底で起こった巨大な地震は、信じられないほどの高さの大津波を引き起こし、東北から関東にかけての太平洋岸の海沿いの街や村々に壊滅的な被害をもたらしました。福島の第一原子力発電所の事故も引き起こしました。亡くなった方の数は1万5000人を超え、いまだ2561人の行方が分かっていません。さらに17万人の方々が避難生活を送っておられます。未曾有の大災害は現在進行形で続いています」


5年前の大災害についての想いを述べました



それから、わたしは次のように言いました。
「大津波の発生後、しばらくは大量の遺体は発見されず、多くの行方不明者がいました。火葬場も壊れて通常の葬儀をあげることができず、現地では土葬が行われました。海の近くにあった墓も津波の濁流に流されました。葬儀ができない、遺体がない、墓がない、遺品がない、そして、気持のやり場がない・・・・・まさに『ない、ない』尽くしの状況は、今回の災害のダメージがいかに甚大であり、辛うじて助かった被災者の方々の心にも大きなダメージが残されたことを示していました。現地では毎日、『人間の尊厳』が問われました。亡くなられた犠牲者の尊厳と、生き残った被災者の尊厳がともに問われ続けたのです。『葬式は、要らない』などという妄言は、大津波とともに流れ去ってしまいました」


鎮魂のTSUNAMI歌へば光射す 深い闇にも夜明け来れり



そして、わたしは次のように言いました。
「今朝、わたしは会社へ向かう車の中でサザンオールスターズの『TSUNAMI』を流しました。最近、よくこの曲を聴いたり歌ったりします。一時は津波の被害を連想させるタイトルからタブー視された曲ですが、それは完全に誤解です。逆に、『TSUNAMI』こそは津波で亡くなられた方々のための鎮魂の歌であり、遺された方々のためのグリーフケア・ソングと思えてなりません。今もなお苦しみ続けておられる被災者のみなさんに、あの歌の歌詞のように『深い闇に夜明けが来る』ことを心から願っています」
それから、わたしは万感の想いをこめて、「鎮魂のTSUNAMI歌へば光射す 深い闇にも夜明け来れり」という歌を詠みました。みんな、悲痛な表情で聴いていました。


14時46分に黙祷しました

衷心より哀悼の誠を捧げました

心より犠牲者の方々の御冥福をお祈りしました



東日本大震災発生の時刻である14時46分になると、わたしたちは被災されお亡くなりになられた方々へ哀悼の誠を捧げるために黙祷を行いました。総務省経済産業省などの協力要請もあり、全国各地でこの時刻に黙祷が行われたことと思います。わたしは、国家がこのような死者儀礼に関心を示すのは大きな意義のあることだと思います。これだけ多くの人々が一斉に黙祷し、黙祷すれば、その想念は壮大なパワーとなります。きっと犠牲者の方々の魂にも届くのではないでしょうか。わたしたちは、多くの犠牲者を絶対に忘れてはなりません。死者を忘れて生者の幸福などありえません。これからも、わが社は「礼の社」として「死者を忘れない」社会づくりのお手伝いをしたいと考えています。最後に、東日本大震災の犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年3月11日 佐久間庸和