鎌田教授退職記念講演会・シンポジウム

21日(日)の朝、体調が戻らぬまま、わたしは小倉駅に向かいました。この日は「北九州マラソン2016」の開催日ですが、時間が早いこともあって、小倉駅まではスムーズに行けました。同マラソンにはわたしの知り合いも出場しているので、健闘を祈りました。


JR小倉駅前で



小倉駅からは8時21分発の新幹線のぞみ12号で京都へ向かいました。
京都駅には10時53分に到着しました。京都駅近くのホテルにチェックインしてから、JR奈良線東福寺まで、そこからは京阪電車神宮丸太町に向かいました。いつもは京都ではタクシーで移動するのですが、この日がまた「京都マラソン2016」の開催日に当たっており、大規模な交通規制が行われているのです。
それにしても、なぜ日本中でマラソン大会が開かれているの?(苦笑)


京都マラソン2016」が開催されていました

京都大学芝蘭会館の前で

稲盛ホール」の入口

「鎌田教授退職記念講演会・シンポジウム」の看板




神宮丸太町駅京阪電車を降りると、わたしは京都大学芝蘭会館の2Fにある「稲盛ホール」を訪れました。ブログ「鎌田教授退職記念講演会・シンポジウムのお知らせ」で紹介したように、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生が、教授を務められている京都大学こころの未来研究センターを定年退職されます。それを記念して、この日に講演会およびシンポジウムがこの稲盛ホールで開催されるのです。わたしは鎌田先生との御縁から京都大学こころの未来研究センター連携研究員を務めており、インドから帰国したばかりで体調も優れませんでしたが、頑張って京都まで駆けつけました。


冒頭、法螺貝を奏上する鎌田先生



会場の稲盛ホールは230名の定員ですが、満席になっていました。鎌田先生は会場入りしてわたしの姿を見つけると、わざわざ近づいてこられて固い握手を交わしました。わたしがインドのブッダガヤで求めた緑色のブッダレリーフと緑色の手鏡をお渡しすると、大変喜んで下さいました。鎌田先生のラッキーカラーはグリーンで、いつも全身が緑色の服装に包まれているのです。鎌田先生は講演に先立ち、まず法螺貝を独奏しました。


法螺貝に続いて、歌い出す鎌田先生



続いて、鎌田先生が直立不動のまま歌い出したので驚きました。
まるでミュージカルの舞台を見ているようでしたが、その歌は「この光を導くものは この光とともにある♪」で始まり、最後は「生きて、生きて、生きてゆけ〜♪」で終わる不思議な歌でした。鎌田先生は10年程前にJR渋谷駅の階段の間でこの歌が思い浮かんだそうです。それはほんの20秒ほどの時間でしたが、実際に歌うと2分かかります。20秒で作られて、歌うと2分かかるという、時間を完全に超越した摩訶不思議な歌ですね。


講演する鎌田先生


いよいよ鎌田先生の退職記念講演がスタートしました。
演題は「日本文化における身心変容のワザ」でしたが、鎌田先生は開口一番、「日本文学、日本宗教の本質は歌だと思います」と述べました。そして、「今日は日本文化の本質を語りたい」と言って、『古事記』との出合いを語りました。鎌田先生にとって人生最大のイベントは小学生のときの『古事記』との出合いであり、スサノヲとの出会いでした。そして、スサノヲのメッセージを伝えることが自分のミッションであると思うようになったそうです。
スサノヲノミコトは、ヤマタノオロチという八頭八尾の大蛇を退治しました。そして、斬り殺した大蛇の1本の尻尾から怪しい光を発するクサナギノツルギを見つけます。スサノヲはこの剣をアマテラスに献上し、天皇家三種の神器の1つになったとされています。


230名収容の会場が満員になりました!



大蛇を退治した後、スサノヲは愛するクシナダヒメと結婚し、ともに暮らしていくことになります。この結婚により、乱暴な暴力神、荒ぶる神だったスサノヲは初めて、この世界に調和をもたらす神になることができたのです。そして、これから命をつないでいく愛の営みのための御殿を作り、次の歌を詠みました。
八雲立つ 出雲八雲垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
この短い24文字の中に、住居をあらわす「八重垣」という言葉が3回も登場します。八重垣3回で9文字ですから、じつに全体の3分の1以上が「八重垣」です。ほとんど「ヤエガキ・シュプレヒコール」と呼んでもいいようなこの歌こそは、日本最古の和歌として『古今和歌集』の「仮名序」に紹介されている歌なのです。


歌について語る鎌田先生



鎌田先生はつねづね、「人間は、歌うために生まれてきた。歌とは命そのものであり、命は歌なのである」と述べています。そして、このことをもっとも端的に表現しているのが古今和歌集の「仮名序」の冒頭の部分だそうです。それは以下の通りです。



やまとうたは、人の心を種として、
万の言の葉とぞなれりける
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、
心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり
花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、
生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける
力をも入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女のなかをもやはらげ、
猛き武士の心をも慰むるは、歌なり



この言葉について、『古今和歌集』の編者である紀貫之は、「仮名序」のこの冒頭の部分で和歌の本質を解き明かし、「森羅万象は歌を歌っている」と言っています。歌が生まれ、誰かがそれを歌うということは、つまり森羅万象がこの世界に歌いつつ存在しているということなのだというのです。鎌田先生はこの「仮名序」こそは最高の歌の哲学であると言います。『万葉集』には膨大な歌が集められていますが、「仮名序」のような歌の哲学は書かれていません。それが『古今和歌集』には書かれているのです。わたしは、この話を聴いて、これからいよいよ執筆にかかる次回作『儀式論』のことを考えました。同書を書くために、大量の民俗学文化人類学の文献を読んだのですが、それらはいずれも個々の儀式や祭礼、未開民族の珍しい儀式などの事例を集めて紹介したものが多く、「儀式とは何か」という本質を語っていません。わたしはぜひ「仮名序」ならぬ「儀式序」を書いてみたいと思います。


古今和歌集』の「仮名序」を朗読する鎌田先生



鎌田先生は京都に住んで初めてわかったそうですが、『古今和歌集』こそは日本文化の真髄であると喝破します。そして、万感の想いを込めて「紀貫之すごすぎる!」と叫ぶのでした。続いて、世阿弥の『風姿花伝』にも言及した鎌田先生は、「京都の気候は非常に変化に富んでおり、アイルランドを連想させる。季節の変化が』繊細な美意識を育てた」と述べました。
そして、西行に憧れた松尾芭蕉を絶賛しました。鎌田先生は「短歌は心を容れる容器。俳句は宇宙を容れる容器」という名言を吐き、さらには俳句をその字義から「人に非ず皆言う」という芸術であり、写界主義であるといい、短歌は写心主義であると述べました。そして、「芭蕉すごすぎる!」と叫んだのです。それにしても、超一流のコピーライターも思いつかない鎌田先生のコピー・センスにわたしは唸りました。


敬愛してやまない比叡山



それから、鎌田先生の肩書は「宗教哲学者・民俗学者」となっていますが、この理由についても述べられました。なぜ、宗教哲学民俗学を並べているのか? 
まずは宗教哲学のほうから説明すると、宗教学とは個別の宗教現象などを研究する経験主義の科学という性格を持っています。しかし、宗教哲学は対象そのものを捉えて、その本質を探り、抽象的な思考をするものです。「宇宙とは何か」「心とは何か」「鬼とは何か」といったテーマにも取り組みます。それは、数学と天文学をミックスしたような抽象的な学問なのです。
一方の民俗学ですが、特定の地域の祭であるとか習俗であるとか、徹底してローカルなテーマを扱います。この「蟻の目」ともいうべき緻密な現場主義が民俗学にはあるのです。
鎌田先生は、「宗教哲学はマックスであり、民俗学はミニマムであり、わたしは両方を求めたい」と述べました。わたしは、これはまったく経営にも通じる考えだと思いました。経営には「理念」と「現場」の両方が必要だからです。「理念」だけでは地に足がつかないし、「現場」だけでは前に進めません。マックスとミニマム、鳥の目と虫の目、理想と現実・・・・・・鎌田先生が学問で追及していることは、すべて経営者としてのわたしの課題でもあったのです!


石笛を吹く鎌田先生

龍笛を吹く鎌田先生

最後も法螺貝を奏上する鎌田先生



その後、鎌田先生は宮沢賢治のいう「透明な食べ物」こそ歌であり、それは「魂の食べ物」であると訴えました。そして、鶴見和子石牟礼道子という2人の女性詩人の魂を揺さぶるような詩を紹介して、この感動的な退職記念講演を終えたのでした。講演後は、パフォーマンスの時間です。鎌田先生は「敬愛してやまない比叡山様」の画像に向かって、石笛、龍笛、法螺貝を立て続けに奏上しました。なんという肺活量! 


突然、神道ソングライターに変身!

熱唱するバク転神道ソングライター



聴衆は鎌田先生のパフォーマンスに圧倒されましたが、さらに仰天する事態となります。なんと、鎌田先生はサングラスをかけ、エレキギターを持って神道ソングを歌い始めたのです。歌の好敵手であるKowさんを従え、Tonyこと鎌田先生はアカデミズムの殿堂である京都大学稲盛ホールを一瞬にしてライヴハウスに変えました。背後の画像も比叡山から地球に変わっていました。何から何まで型破り、稀代の「知のトリックスター鎌田東二のラスト・パフォーマンスに満員の聴衆から盛大な拍手が巻き起こったことは言うまでもありません。


講演する島薗進先生

鎌田先生と島薗先生


第一部の講演が終わると、第二部のシンポジウム「日本文化とこころのワザ学」が開催されました。イントロダクションとして、3人の方が25分ずつ話をしました。最初は島薗進先生(上智大学グリーフケア研究所所長)による「道の思想と日本宗教史」、次に河合俊雄先生(こころの未来研究センター教授)、そして奥井遼先生(日本学術振興会・海外特別研究員/パリ大学)による「心身変容とアート教育−−フランスサーカス学校の現場から」です。
話の冒頭、みなさん、鎌田先生に対して一言贈られました。島薗先生は「紀貫之、すごすぎる!」「芭蕉すごすぎる!」という鎌田先生の言葉をもじって、「鎌田東二すごすぎる!」と言いました。河合先生は「鎌田東二やばい!」と言いました。奥井先生は「表現できない」という意味の「Ouh la la(オララ) 」というフランス語を使って、「鎌田東二オララ!」と叫びました。わたしは、学者の先生方のユーモアのセンスと頭の回転の速さに感服しました。


シンポジウムのようす

シンポジウムのようす



イントロダクションの後は総合討論に入りました。鎌田先生と3人の発表者の他に、新たに広井良典先生(千葉大学政経学部教授)がコメンテーターとして加わりました。広井先生は鎌田先生の後任として、こころの未来研究センター教授に就任予定だそうです。広井先生は鎌田先生と同じ緑色の装いで、「3人の方は言葉でしたが、わたしは身体をもって鎌田先生に敬意を表したいと思います」と述べ、会場に笑いの渦を起こしていました。
本当に、学者のみなさんはユーモア満点ですね。
総合討論でも貴重な発言が相次ぎましたが、わたしは鎌田先生が語られたご自身の学問観に感銘を受けました。鎌田先生いわく、学問には「道としての学問」「方法としての学問」「表現としての学問」があるが、どれも大切なものである。そして、歌も学問である。ニーチェの詩やプラトンの対話が学問であったように、自分は歌も学問であると思っていると述べたのです。
こんな凄い学問観を語った学者がかつて日本に存在したでしょうか?!


最後に感謝の言葉を述べる鎌田先生

鎌田先生の謝辞を聴く吉川センター長



総合討論が終了すると、鎌田先生だけが壇上に残り、謝辞を述べました。
鎌田先生は最初に「この8年間、わたしは幸せでした」と言いました。そして、比叡山の主である故河合隼雄先生から「京大におもろい風を吹かせてよ、鎌田クン」と言われ、京都に移り住んできたこと。ふつう会議というものは面白くないけれども、こころの未来研究センターの会議は面白かったこと。何をやっているかわからないけれど、里山のようにいろんなものが積み重なっていく場であったこと。「未来」を冠した研究施設というのは日本はおろか世界でも珍しいこと。そして、「世界にも例を見ない素晴らしい研究施設である京都大学こころの未来研究センターの今後の発展を祈ります」と締めました。鎌田先生の謝辞をじっと聴いていた同センターの吉川左紀子センター長は感慨深そうな表情をされていました。
そして、謝辞を述べ終わると、鎌田先生は「比叡山を去ってゆく」と言って法螺貝を吹きながら退場して行きました。最後まで度胆を抜くパフォーマンスを披露された鎌田先生に盛大な拍手が送られました。まことに前代未聞、空前絶後の教授退職セレモニーでした。


懇親会のようす

冒頭、挨拶をする吉川センター長

懇親会で謝辞を述べる鎌田先生

乾杯の音頭を取る島薗先生

カンパ〜イ!

懇親会のようす



講演会・シンポジウムの終了後は京都大学芝蘭会館内の「山内ホール」に場所を移して懇親会が開かれました。稲盛ホールと同じく、山内ホールも満員になりました。まさに立錐の余地がないほどです。懇親会の冒頭、こころの未来研究センターの吉川センター長が挨拶をされ、続いて主役である鎌田先生が再び謝辞を述べられました。そして、鎌田先生の盟友であり同志である島薗先生の乾杯の音頭で宴が開始されました。


鎌田先生と島薗先生


鎌田東二先生と




この日、わたしは多くの懐かしい方々に再会しました。
京都大学こころの未来研究センター東京自由大学(なんと、15名も参加されていました)、東京ノーヴィレパートリーシアターのみなさん、「義兄弟」こと造形美術家の近藤高弘さん御夫妻、「京都の美学者」こと秋丸知貴さんにもお会いしました。



講演会では占星術研究家の鏡リュウジさんにも久々に会いました。わたしが、ムーンサルトレターの前任者である鏡さんに「もうすぐ130信になんですよ。単行本も4冊になりました」と言うと、大変驚かれていました。それから、ブログ「宗像大社」で紹介した福岡の精神保健福祉士で心理カウンセラーでもある高浪藤徳さん、ブログ「高野山」で紹介した岐阜県の荻原哲郎さんにもお会いしました。思えば、みんな鎌田先生がわたしに紹介して下さった方ばかりです。そう、鎌田先生は現代の「縁の行者」なのです!



ブログ「稲盛和夫氏にお会いしました!」に書いたように、鎌田先生は昨年も、わたしが尊敬してやまない稲盛財団稲盛和夫理事長を紹介して下さいました。そうそう、稲盛理事長といえば、弟さんである稲盛財団の稲盛豊実専務理事にも再会しました。思い起こせば、稲盛専務理事とはブログ「孔子文化賞授賞式」で紹介した式典で初めてお会いしたのです。


鎌田先生に岡野先生をご紹介いただきました

岡野先生にご挨拶しました



「縁の行者」は、この日も素晴らしい方を紹介して下さいました。
日本を代表する歌人である岡野弘彦先生です。岡野先生は國學院折口信夫に直接学ばれた最後の弟子です。徳仁親王妃雅子にも和歌の進講をされており、歌会始の選者も務めておられます。へっぽこ歌人であるわたしにとって雲上人のような方なのですが、鎌田先生が「佐久間さんの父上も國學院出身なんですよ」と言って気軽に紹介して下さいました。


懇親会で挨拶する岡野先生

鎌田先生、これからもよろしくお願いいたします!



その他にも、懇親会では鎌田先生からかつて紹介していただいた懐かしい方に次から次にお会いしました。わたしは2つのことを思いました。それは「鎌田先生にゆかりのある方々が全員集合している」ということ、それから「これは良い意味で鎌田先生の生前葬だ」ということです。もちろん、鎌田先生はこれからもずっとお元気で活躍される方ですが、区切りとしての卒業セレモニーを盛大に行われました。このような素晴らしい生前葬を開くことができた鎌田先生は本当に幸せな方であると思います。しかし、それはすべて鎌田先生の日頃の行い、人徳によるものなのです。鎌田先生、素晴らしい会にお招きいただき、本当にありがとうございました。8年間お疲れ様でした。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


お土産は鎌田先生の最新刊でした



お土産に渡された鎌田先生の最新刊『世直しの思想』(春秋社)を抱えて京都大学芝蘭会館を後にすると、夜空には月が浮かんでいました。もうすぐ満月です。
この日のことをムーンサルトレターに書かなければ!


京都の夜空に浮かんだ月



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2016年2月22日 佐久間庸和