加賀の旅


8日、石川県の加賀市を訪れるため、小松空港に降り立ちました。
翌9日に加賀紫雲閣の竣工式が行われ、それに参列するためです。
小松空港の気温は13度で、思ったより暖かかったです。


小松空港に到着しました

空港内に恐竜を発見!



空港のすぐ近くに「勧進帳」ゆかりの富樫および弁慶の銅像を発見しました。みなさんも御存知のように、わたしは銅像が大好物なので、さっそく真似をさせていただきました。


「富樫」の銅像

「弁慶」の銅像



ともに「安宅の関」に由来する銅像です。
安宅の関は、石川県小松市日本海側にある安宅に守護、富樫氏が設けたと言われる関所です。どうせなら現地に行ってみようと思い、そのまま向かいました。本物の安宅の関では、義経・弁慶・富樫の銅像が3点セットで鎮座していました。


呉竹文庫の入口で

呉竹文庫の内部のようす



それから、かねてより行きたかった呉竹文庫へと向かいました。
呉竹文庫は、石川県白山市にあります。北前船主として財を成した熊田源太郎が私邸を開放し開いた私設図書館です。北前船とは、江戸から明治にかけて活躍した買積み廻船のことですが、商品を預かって運送をするのではなく船主自身が商品を買い付け、それを廻船で諸国に売買することで利益を上げていました。


熊田源太郎の銅像前で



源太郎が明治中期から昭和初期にかけて集めた書籍は、13863冊に及びます。
叢書・辞書にはじまり、宗教・哲学・教育、法律・政治、産業、理学・工学、医学、美術・諸芸・武技、文学・語学、歴史・地誌など、偏りなくジャンルは多岐にわたっています。全集も多いのですが、初版本や奥付に「非売品」と書かれた稀覯本も数多く所蔵しています。


手取川のほとりで・・・・・・

白山も美しかったです



呉竹文庫は、かの上杉謙信軍と織田信長軍が戦った「手取川の戦」の跡地に建っています。
いにしえの戦に想いを馳せて手取川を眺めていたら、上方に白い山脈を見つけました。
まるでエベレストのように神々しいその山こそ、北陸が誇る白山でした。


芭蕉の館」を訪れました

芭蕉曽良 の石像の前で




加賀市山中温泉郷に入り、「芭蕉の館」を訪れました。
奥の細道』で芭蕉曽良が別れたのがこの山中の地なのです。旅の途上、金沢から体調のすぐれなかった曾良は、芭蕉山中温泉で別れることになりました。曾良は伊勢長島の伯父をたより、ひと足先に旅立ち、芭蕉加賀国から越前国へと向かいました。


竣工式の前夜に加賀紫雲閣をチェック

山中温泉の露天風呂で・・・



芭蕉の館」を出た後は、9日にオープンする加賀紫雲閣を訪れ、竣工式の準備が出来ているかの点検をしました。それから、山中温泉の宿に投宿して、露店風呂に入りました。とても湯治まではかないませんが、機会と時間に恵まれたならば、ゆったりと逗留しながら、俳聖・芭蕉に想いを馳せつつ、道歌を詠んでみたいものであります。


早朝の加賀温泉

旅館で「一揆太鼓」を発見!

加賀紫雲閣の竣工式のようす



翌9日は、加賀紫雲閣の竣工式が行われました。
サンレーグループとして、北陸で11番目、全国では63番目(いずれも完成分)の紫雲閣となります。設計管理は梅田建築工房さん、施工は松井建設さんです。


社長として、施主挨拶をしました

天からの手紙降りくる加賀の地に天へと送る雲ぞあらはる



施主挨拶をしたわたしは、「もう師走です。いつ雪が降ってもおかしくありませんが、わたしは金沢をはじめとした北陸の雪ほど美しいものはないと思います。北陸の雪は滞空時間が長く、まるで雪のかけらが空中でダンスを舞っているようです。ひらひら舞う姿は人生のはかなさを思わせます。『雪は天から送られた手紙である』という詩情あふれる言葉を残した中谷宇吉郎博士は加賀市の出身です。雪の美しさに魅せられ、北海道大学において世界で初めて人工的に雪の結晶を作り出した科学者として知られます。 雪や氷に関する科学の分野を次々に開拓し、その活躍の場はグリーンランドなど世界各地に広がりました」と語った後、「雪が天から降ってくるものならば、葬儀とは故人の霊を天に上げるもの。ベクトルの上下の差こそあれ、その本質は似ているかもしれません。いずれも、天地間のコミュニケーションですね」と述べ、「天からの手紙降りくる加賀の地に 天へと送る雲ぞあらはる」という道歌を詠みました。


直江喜一さんにお会いしました

あの加藤に殴りかかられる!



ところで、加賀紫雲閣を施行した松井建設さんの北陸支店に直江喜一営業部長という方がいらっしゃいます。1級建築施工管理技士二級建築士の資格をお持ちです。
直江喜一」という名前、どこかで聞いたことが・・・・・・。
そうです、テレビドラマ「3年B組金八先生」で不良生徒「加藤優」を演じた俳優さんと同姓同名なので気になっていたのですが、なんとご本人だったのです!
あの腐ったミカンの「加藤」に対面するというサプライズが待っていました。
ということで、今回の加賀では多くの思い出ができました。
わたしは、そのまま小松空港に向かい、JALで東京へ向かいました。
この夜、赤坂見附で開かれる「サンデー毎日」の忘年会に参加するためです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年12月10日 佐久間庸和