葬儀は人を永遠の存在にする

いよいよ今日から12月、師走ですね。
今年も残すところ、あと1ヵ月なんて信じられません。
ところで、「サンデー毎日」12月13日号が出ました。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第9回目のタイトルは「葬儀は人を永遠の存在にする」です。


サンデー毎日」12月13日号



みなさんは、「0葬」という言葉を知っているでしょうか。
通夜も告別式も行わずに、遺体を火葬場に直行させ焼却する「直葬」をさらに進め、遺体を焼いた後、遺灰を持ち帰らず捨てるのが「0葬」です。
わたしは葬儀という営みは人類にとって必要なものであると信じています。故人の魂を送ることはもちろんですが、葬儀は残された人々の魂にも生きるエネルギーを与えてくれます。



葬儀という「かたち」は人間の「こころ」を守り、人類の滅亡を防ぐ知恵です。葬式は社会にとって必要なものであり、日本人の「こころ」に必要なものなのです。葬儀によって、有限の存在である「人」は、無限の存在である「仏」となり、永遠の命を得ます。これが「成仏」の意味であり、葬儀とは「不死」のセレモニーなのです。



わたしは宗教学者島田裕巳氏が書いた『0葬――あっさり死ぬ』(集英社)に対して、『永遠葬――想いは続く』(現代書林)を書きました。「永遠」こそが葬儀の最大のコンセプトであり、「0葬」に対抗する意味で「永遠葬」と名づけたのです。
かつて、島田氏のベストセラー『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)に対抗して、わたしは『葬式は必要!』(双葉新書)を書きました。今回は、戦いの第2ラウンドということになります。



今年は終戦から70年を迎えましたが、日本人が「死者を忘れてはいけない」「死者を軽んじてはいけない」ということを思い知る年としたいものです。昭和20年、敗戦の直前に「日本民俗学の父」と呼ばれる柳田國男は名著『先祖の話』を著しました。同書で柳田が危惧したことは、敗戦によって、日本人の「こころ」が分断されてズタズタになることでした。



それから70年を経て、日本人の自殺、孤独死、無縁死が激増し、葬儀もしない「直葬」も増えています。わたしたちは、どうすれば現代日本の「葬儀」をもっと良くできるかを議論することが大切ではないでしょうか。ぜひ、『永遠葬』をご一読あれ!


サンデー毎日」12月13日号の表紙



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年12月1日 佐久間庸和