バリ島の葬儀は直接芸術だった!

23日に東京から戻りましたが、また25日から上京します。
バリ島から帰国してから、1日も休みがありませんが、頑張ります!
ところで、「サンデー毎日」12月6日号が出ました。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第8回目のタイトルは「バリ島の葬儀は直接芸術だった!」です。


サンデー毎日」12月6日号



先週、バリ島に行ってきました。わたしが会長を務める業界団体の研修視察として、実に四半世紀ぶりに訪れたのです。観月ありさフェラーリ王子と結婚式を挙げたばかりのブルガリ・ホテルにも行きました。バリのリゾート・ウエディングはハワイやグアムよりも日本人には合っている気がします。いわゆる「アジアン・リゾート」として沖縄に近い感じです。バリも沖縄も、神と人の交流が盛んなスピリチュアルな島として知られています。



そして、バリ島といえば、なんといっても葬儀が有名です。ここでは火葬による死者の葬いが、伝統的な生活の中で人々の最大の関心事であり、愉みにさえなっています。
バリ島の王国(ヌガラ)は「劇場国家」であるといわれます。
ヌガラとは19世紀中葉にオランダが植民地化するまでバリ島に栄えたいくつかの小王国を指しますが、ヌガラが特別に関心の対象となるのは、その祭儀性にあります。


例えば、かつてヌガラでは王が死ぬと、その葬儀は盛大を極めましたが、王の遺体を納めた棺を火葬するに際しては、3人の側室が自ら焔の中へ身を投じて自決するようなスペクタクルが含まれていました。バリ島では何らかの祭儀の行われる日が「実」の日であり、それ以外の日常の日は「虚」であるという考え方が支配していますが、儀礼こそが、それも葬礼こそがヌガラを成立させる条件となっていたのです。



バリ島で、わたしは「芸術とは何か」について考えました。芸術とは、魂を天上に飛ばすことだと思います。人は芸術作品に触れて感動したとき、魂が天上に一瞬だけ飛ぶのではないでしょうか。 絵画、彫刻、文学、映画、演劇、舞踊といった芸術の諸ジャンルは、さまざまな中継点を経て魂を天上に導くという、いわば間接芸術です。



ベートーヴェンは「音楽は直接芸術である」と述べましたが、わたしは葬儀こそが真の直接芸術だと思います。なぜなら、葬儀とは「送魂」という行為そのものだからです。
ガムランの調べを聴きながら、そんなことを考えました。


サンデー毎日」12月6日号(表紙=近藤真彦



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年11月24日 佐久間庸和