日本人は和を求める

20日の朝、わたしは北九州空港からスターフライヤーで東京に向かいます。
今日は國學院大學オープンカレッジに顔を出し、明日は第4回「孔子文化賞」授賞式で開会の挨拶を務め、明後日は全互連の理事会、さらには互助会保証主催の講演会に参加します。この日、「サンデー毎日」11月1日号が発売されました。わたしは、コラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。第3回目のタイトルは「日本人は和を求める」です。



サンデー毎日」2015年11月1日号



わたしの最新刊『和を求めて』(三五館)が刊行された。帯には「和」というテーマに合わせた和服を着た、わたしの写真が使われています。着物は父から譲られた大島ですが、小倉にある松柏園ホテルの茶室で撮影しました。この茶室は小笠原流礼法宗家であった故小笠原忠統先生が設計に携わられた由緒あるものです。



和を求めて』は、『礼を求めて』および『慈を求めて』の続編です。わたしは日本人の「こころ」は神道・仏教・儒教の3つの宗教によって支えられていると思っています。「礼」は儒教の、「慈」は仏教の、そして「和」は神道の核心をなすコンセプトです。



「和」といえば、「和をもって貴しと為す」という聖徳太子の言葉が思い浮かびます。内外の学問に通じていた太子は、仏教興隆に尽力し、多くの寺院を建立します。平安時代以降は仏教保護者としての太子自身が信仰の対象となり、親鸞が「和国の教主」と呼んだことはよく知られます。 



しかし、太子は単なる仏教保護者ではありませんでした。
神道・仏教・儒教の三大宗教を平和的に編集し、「和」の国家構想を描いたのです。太子は、宗教における偉大な編集者でした。儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を解消する。すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、そして自然と人間の循環調停を神道が担う・・・3つの宗教がそれぞれ平和分担するという「和」の宗教国家構想を説いたのである。



この聖徳太子の宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である石門心学、そして今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭など、さまざまな形で開花していきました。
和を求めて』のサブタイトルは「日本人はなぜ平和を愛するのか」です。「和」とは大和にも平和にも通じます。いま憲法改正の議論が活発ですが、太子の制定した「十七条憲法」こそは平和国家・日本のシンボルです。


サンデー毎日」11月1日号の表紙



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年10月20日 佐久間庸和