出征の地で戦友悼む


ブログ「パゴダの防人、逝く!」で紹介したように、7月19日、三木恭一さんがお亡くなりになられました。宗教法人世界平和パゴダの理事であり、パゴダを長年支えられた方です。
通夜は19日19時、葬儀は20日12時より門司港紫雲閣にて行われました。


西日本新聞」8月13日朝刊



その三木さんを紹介する記事が今朝の「西日本新聞」に掲載されました。
「語り継ぐ 北九州の戦争」というシリーズの第3回目で、「出征の地で戦友悼む」という見出しです。記事は以下の書きだしで始まっています。「関門海峡を望む和布刈公園に、高さ45メートルの本格的ミャンマー式寺院『世界平和パゴダ』がそびえ立つ。建設と維持に力を尽くしたのは、ビルマ(現ミャンマー)からの帰還兵、三木恭一さん。旧門司鉄道管理局(現JR)に勤務していた21歳の時、旧陸軍に召集され1年ほど旧満州に。いったん門司に戻った後、ビルマに赴き復員したのは終戦の翌年。3年がたっていた」



そして、記事には三木さんのビルマ戦線での苦労の様子、復員してからの世界平和パゴダとの関わり、門司市の柳田桃太郎市長(当時)との出会いなどについて紹介した後、以下のように書かれています。「2011年12月、パゴダは一時閉鎖を余儀なくされたが、ミャンマー政府の支援もあり翌年8月に再開。三木さんは故柳田さんの三女、八坂和子さん(73)=現・奉賛会副会長=や、冠婚葬祭会社会長の佐久間進さん(79)=同会長=らに後事を託した。『父の遺志を継ごう』とパゴダ運営に関わることにした八坂さんは言う。『たとえ復員兵がいなくなっても、世界の平和のために存続させていきたい』。パゴダからは毎朝、建立当時と同様、ミャンマー僧の読経が続く」


世界平和パゴダで、三木恭一さんと



記事には、お元気な頃の三木さんの顔写真も掲載されています。
サンレーでは、全面的に世界平和パゴダの運営を支援させていただいています。
三木さん、どうか安心して下さい。そして、安らかにお眠り下さい。
それはそうと、あちらでは戦友のみなさんと再会できましたか?



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年8月13日 佐久間庸和