終戦70年の月

昨日の水無月晦日の夜は、幻想的な青い満月が夜空に浮かんでいました。3年に1度の「ブルームーン」です。そして今日から、いよいよ8月です。時の流れは本当に速いですね。
今朝、サンレー本社において恒例の月初の総合朝礼が行われました。
ラジオ体操、社歌斉唱に続いて、わたしが社長訓示を行いました。


社長訓示を行いました



わたしは、以下のような話をしました。
8月になりました。日本人にとっての慰霊と鎮魂の季節です。というのも、6日の「広島原爆の日」、9日の「長崎原爆の日」、12日の「御巣鷹山日航機墜落事故の日」、そして15日の「終戦の日」というふうに、3日置きに日本人にとって意味のある日が訪れるからです。そして、それはまさに、日本人にとって最大の供養の季節である「お盆」の時期と重なります。
8月15日、終戦70周年を迎えます。じつに日本人だけで310万人もの方々が亡くなった、あの悪夢のような戦争から70年という大きな節目を迎えたのです。


8月は死者を想う季節です



人間は死者を想う存在です。そして、死者を弔う存在でもあります。
わたしは、ブログ「パゴダの防人、逝く」で紹介した故三木恭一さんの葬儀、およびブログ「大重監督のお別れ会」で紹介した故大重潤一郎さんの葬儀について話しました。三木さんの葬儀は門司港紫雲閣で、大重さんの葬儀は豊崎紫雲閣で行われ、それぞれ偉大な魂が人生を堂々と卒業されて行かれました。


なぜ「死者を軽んじる」民族に落ちぶれたのか?



しかしながら、現在の日本では、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」が増えつつあります。あるいは遺灰を火葬場に捨ててくる「0葬」といったものまで注目されています。 しかしながら、「直葬」や「0葬」がいかに危険な思想を孕んでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は「礼」すなわち「人間尊重」に最も反するものであり、ナチス・オウム・イスラム国の巨大な心の闇に通じているのです。それにしても、なぜ日本人は、ここまで「死者を軽んじる」民族に落ちぶれてしまったのでしょうか?


永遠葬』について



このたび、一条真也として書いた新著『永遠葬』(現代書林)が刊行されました。
葬儀によって、有限の存在である“人”は、無限の存在である“仏”となり、永遠の命を得ます。これが「成仏」です。葬儀とは、じつは「死」のセレモニーではなく、「不死」のセレモニーなのです。そう、人は永遠に生きるために葬儀を行うのです。「永遠」こそが葬儀の最大のコンセプトであり、わたしはそれを「0葬」に対抗する意味で「永遠葬」と名づけたのです。


唯葬論』(について



さらに、わたしは『唯葬論』(三五館)を上梓しました。
わたしのこれまでの思索や活動の集大成となる本です。
わたしは、人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。約7万年前に、ネアンデルタール人が初めて仲間の遺体に花を捧げたとき、サルからヒトへと進化しました。その後、人類は死者への愛や恐れを表現し、喪失感を癒すべく、宗教を生み出し、芸術作品をつくり、科学を発展させ、さまざまな発明を行いました。
つまり「死」ではなく「葬」こそ、われわれの営為のおおもとなのです。


大戦より時を重ねて七十年  人の道をば今こそ知らん



葬儀は人類の存在基盤です。葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。そして、死者を弔う行為は「人の道」そのものなのです。
そして最後に、心をこめて以下の歌を詠みました。



大戦(いくさ)より時を重ねて七十年(ななととせ)
        人の道をば今こそ知らん(庸軒)

なお、8月9日の「長崎原爆の日」は「小倉原爆の日」でもあります。
小倉では「北九州市原爆犠牲者慰霊 平和祈念式典」が盛大に開催される予定ですが、わたしも式典に参列し、特別献花を行うことになりました。身の引き締まる思いです。
また、15日の「終戦の日」には東京の靖国神社を参拝する予定です。
靖国参拝には『永遠葬』と『唯葬論』の2著を持参いたします。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年8月1日 佐久間庸和