パゴダの防人、逝く!

昨日、三木恭一さんがお亡くなりになられました。
宗教法人世界平和パゴダの理事であり、パゴダを長年支えてこられた方です。
通夜は19日19時、葬儀は20日12時より門司港紫雲閣にて行われました。


門司港紫雲閣にて

佐久間会長とともに参列しました


わたしは、昨日のサンレー企画部の石田恭一部長からのメールで訃報を知りました。
石田部長は一昨日、 世界平和パゴダ奉賛会の会長であるサンレーグループ佐久間進会長、奉賛会の副会長である八坂和子さんとともに三木さんのお見舞いに行ったそうです。そのとき、三木さんはとてもしっかりされており、佐久間会長の姿を見ると、「佐久間さん、あなたに会いたかった。パゴダをよろしくお願いしますよ」と言って、佐久間会長と固い握手を何度も交わしたといいます。その直後に亡くなられたとのことで、石田部長も驚いていました。


ミャンマーで撮影した遺影

ミャンマーからの感謝状

供花もたくさん届きました

ミャンマー僧も参列しました

葬儀後に故人を偲んで・・・・・・

門司港紫雲閣に置かれた募金箱



葬儀にはわたしも参列しましたが、三木さんに縁のある方々が参集され、心のこもったとても良いお葬儀でした。遺影はミャンマーで撮影された写真とのことで、とても穏やかな表情でした。故人の生前の温厚なお人柄を偲ばせました。また、ミャンマーから授与された長年のパゴダ支援に対する感謝状も祭壇の横に飾られていました。
三木家の宗派である真言宗にて葬儀は執り行なわれましたが、世界平和パゴダから2人の僧侶も参列し、三木さんとの別れを惜しんでいました。
ミャンマー仏教という上座仏教(テーラワーダ仏教)の僧侶は葬儀をはじめとする「先祖供養」とは無縁です。このようにミャンマー僧がン日本人の葬儀式に参列するということはきわめて珍しいと言えるでしょう。それほど、三木さんの人生は世界平和パゴダを守ることによって、ミャンマー仏教を支援されてきたのです。


禮鐘の儀」の前で

鐘の音に送られて旅立たれました



葬儀終了後には棺を霊柩車にお納めし、真言宗の門司高野山の僧侶、世界平和パゴダの僧侶が並んで、お見送りしました。大乗仏教と上座仏教、日本仏教とミャンマー仏教の僧侶が一緒に出棺に立ち会うというのも前代未聞です。
それくらい、三木さんの功績は偉大だったのです。三木さんは「禮鐘の儀」の3つの鐘の音(感謝・祈り・癒し)で厳かに旅立たれて行かれました。


安倍昭恵氏講演会のようす



ブログ「安倍昭恵総理夫人講演会」で紹介したように、3月9日には世界平和パゴダ支援のための安倍昭恵氏のチャリティー講演会が講演会が松柏園ホテルで盛大に開催されました。その冒頭に流された「世界平和パゴダ 平和の祈り」というビデオで、三木さんは戦友への想いとパゴダ支援への意欲を語っておられました。
昭恵夫人の講演の内容は大変感動的なものでしたが、講演の後で三木さんが登壇され、花束を昭恵夫人に渡されました。花束を受け取られた昭恵夫人はとても嬉しそうでした。


安倍昭恵氏の講演後に挨拶する三木さん



昭恵夫人が降壇され、拍手で見送られた後は、世界平和パゴダ奉賛会の八坂和子副会長が三木さんと一緒に登壇されました。八坂副会長は超満員の来場者に感謝の言葉を述べ、パゴダへの支援を重ねてお願いされました。最後は三木さんが自らマイクの前に向かい、「わたしにはもう命がありません。しかし、生ある限りパゴダのために尽くしたと思います。ご支援よろしくお願いいたします」としっかりとした声で述べられました。すると、会場からは盛大な拍手が起こりました。わたしも、三木さんの想定外のスピーチに驚くとともに、深い感動を覚えました。この方がいたから、今日まで世界平和パゴダは存続してきたのです。


小倉ロータリークラブで三木さんの半生を紹介



ブログ「97歳 私の戦争体験」で紹介したように、4月17日に開催された小倉ロータリークラブの例会において三木さんは卓話をされました。卓話前には、わたしが檀上に立って、三木さんの半生を紹介させていただきました。三木さんは、大正7年4月16日、旧門司市にお生まれになられました。ちょうど卓話の前日がお誕生日で、97歳になられました。わたしが「お誕生日、おめでとうございます!」というと会場から盛大な拍手が起こりました。


堂々と卓話を行う三木さん



昭和13年12月、20歳の時、陸軍小倉歩兵第14部隊に入隊されました。その後、昭和16年より、ビルマ戦線へ赴かれました。ビルマ戦線は、弾薬はおろか食料まで尽き果て、派兵された日本兵約30万人の内、約18万人が戦死されるという激戦地でした。
三木さんは、昭和20年8月の終戦を迎えるまで、ビルマの地で果敢に戦い抜かれ、昭和21年7月、ようやく日本へ帰国を果たされました。帰国後、国鉄にご入社され、定年までお勤めになられました。一方で、復員兵や戦没者遺族でつくられたビルマ戦友会の一員として、世界平和パゴダを長年にわたって支えてこられました。三木さんのお話は、非常に感動的な内容でした。背筋をぴんと伸ばしたきれいな姿勢で大きな声で話す三木さんに、多くのロータリアンは圧倒されていました。また、高齢にもかかわらず、70年以上前の細かいエピソードをすべて憶えている記憶力の良さに仰天していました。


パターン祭のようす



ブログ「世界平和パゴダ戦没者慰霊祭」で紹介したように、5月10日から14日にかけて、世界平和パゴダではミャンマー僧による「パターン祭」が行われました。「パターン祭」のパターン(発趣論)とはアビダンマ七論最後の教えで、最も尊い経典とされています。世界平和パゴダのパターン祭では、第二次世界大戦戦没者の慰霊と世界平和を祈るため、ミャンマーより来日した僧侶約20名が、5日間96時間をかけてパターン経典の全てを唱えました。


戦没者の霊位



「パターン祭」の締めくくりとして、14日には戦没者慰霊合同参拝を行われました。
わたしも、朝一番で合同参拝に参加し、戦没者の御霊に祈りを捧げました。
今年は終戦70年の年です。日本人だけでじつに310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わって70年目の節目なのです。今年こそは、日本人が「死者を忘れてはいけない」「死者を軽んじてはいけない」ということを思い知る年であると思います。わたしは太平洋戦争において最も悲惨だったともいわれるビルマ戦の犠牲者の方々をはじめ、すべての戦没者に対して心からの祈りを捧げました。 世界平和パゴダは諸事情から2012年に休館されていましたが、多くの方々の尽力で再開することができました。
終戦70年の戦没者供養に間に合って、本当に良かった!
三木さんもパゴダで戦友の供養ができたことを本当に喜んでおられました。


世界平和パゴダ

世界平和パゴダの門の前で



わたしは、三木さんが終戦70年の今年までお元気でいてくれたことに心から感謝しています。現時点で先の戦争に従軍された方は少ないです。拙著『ハートフル・カンパニー』(三五館)所収の「終戦60周年に思う 月面聖塔は地球の平等院」という終戦60年直後の2005年9月に書いた文章があります。そこで、わたしは以下のように書きました。
「60年といえば人間でも還暦にあたり、原点に返るとされます。事件や出来事も同じ。どんなに悲惨で不幸なことでも60年経てば浄化される『心の還暦』のような側面が60周年という時間の節目にはあると思います。また現在、私どもの紫雲閣でお葬儀を執り行なうとき、神風特攻隊で生き残られた方など、戦争で兵士として戦った最後の方々の葬儀がまさに今、行なわれていることを実感します。おそらく10年後の終戦70周年のときには戦争体験者はほとんど他界され、『あの日は暑かった』式の体験談を聞くことはないでしょう。過去の記憶と現実の時間がギリギリでつながっている結び目、それが60年であると言えるのではないでしょうか」
しかし、終戦60年から10年後の終戦70年の年にも、三木さんはわたしたちに戦争体験を語って下さり、戦友たちの供養をされてきたのです。本当にありがたいことです
。おそらく、三木さんが人生を旅立って行かれるときには多くの戦友のみなさんが迎えに来られたのではないでしょうか。わたしには、そのように思えてなりません。


世界平和パゴダで、日緬仏教文化交流協会のメンバー



今朝、三木さんの訃報を高野山大学教授である井上ウィマラ先生にメールでお伝えしました。井上先生はミャンマーで仏教修業され、世界平和パゴダでも修業された方です。
当然ながら、三木さんともひとかたならぬ親交がありました。
また、井上先生は鎌田東二先生(京都大学こころの未来研究センター教授)とともに、パゴダ支援を目的とする「日緬仏教文化交流協会」のメンバーになって下さり、その第1回会議が開かれた2012年11月1日に世界平和パゴダを再訪されました。そのとき、三木さんとも久々の再会を果たされ、とても喜んでおられました。


井上ウィマラ先生と再会を喜び合う三木さん



井上先生からはすぐ返信がありました。
そこには、以下のように書かれていました。
「ご連絡、ありがとうございます。
パゴダの防人、本当にありがたいことでした。
いろいろなことが、懐かしく思い出されます。
パゴダは、本当に戦友のみなさまの思いで守られてきたのだと思いますし
そのおかげで私も修行させていただけました。感謝です。
今年、(高野山大学の)大阪サテライトの別科スピリチュアルケアコースに入学されてきた方で、門司市の市場周辺出身の方がおられました。私が托鉢で回ったあたりです。
ご縁は、本当に不思議なものですね。これからも、パゴダ、よろしくお願いいたします」


世界平和パゴダで、三木恭一さんと



わたしは、三木さんが必死で守ってこられた世界平和パゴダを父ともども力いっぱい支えていきたいと思います。三木さん、どうか、あちら側から力をお貸し下さい。そして、終戦から70年間、三木さんがずっと抱き続けてこられた「世界平和」への想いを大切にしたいと思います。偉大なる「パゴダの防人」、三木恭一さん、長い間お疲れ様でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年7月20日 佐久間庸和