東日本大震災関連シンポジウム

8日の夕方、東京から戻ってきました。次は京都です。9日の朝、わたしは小倉駅から「のぞみ16号」に乗って京都駅へと向かいました。京都駅近くのホテルにチェックインしてから、京都大学稲盛財団記念館へ・・・・・・。ここで開催される東日本大震災関連シンポジウム「こころの再生に向けて〜5年目を迎えた被災地の『復興と現実』」に参加しました。


京都駅に到着しました

稲盛財団記念館の前で



わたしは「京都大学こころの未来研究センター」連携研究員を務めているのですが、このイベントは同センターの主催となっています。ブログ「『こころの再生』シンポジウム」に書いたように、2012年7月11日に同じ場所で第3回「震災関連プロジェクト〜こころの再生に向けて」が開催され、わたしが「東日本大震災グリーフケア」と題する発表を行いました。



今回のイベントの概要は以下の通りです。
第6回東日本大震災関連シンポジウム
こころの再生に向けて〜5年目を迎えた被災地の「復興」と現実
【日 時】2015年7月9日(木)13時〜17時30分
【場 所】京都大学稲盛財団記念館3階大会議室


冒頭で鎌田先生が趣旨説明を行う



【プログラム】
  趣旨説明
   鎌田東二京都大学こころの未来研究センター教授・宗教哲学民俗学
  基調報告(1)「福島、いとあはれなり」
   玄侑宗久(作家・福島県三春町・福聚寺住職)
  基調報告(2)「被災地に誕生する“祈りの場”」
   鈴木岩弓(東北大学教授・宗教民俗学
  基調報告(3)「被災地の記憶と震災伝承:気仙沼震災伝承マップの取り組み」
   稲場圭信(大阪大学准教授・宗教社会学
  基調報告(4)「津波復興太鼓 マインドフルネスとレジリエンスの視点から」
   井上ウィマラ(高野山大学教授・スピリチュアルケア)


最初に報告した玄侑宗久先生

福島の現状について語られました



最初に「福島、いとあはれなり」という話をされた玄侑先生は、日本語の「あはれ」には「かなしい」と「うれしい」の2つの意味があるが、その本質は「ディープ・インパクト」であり、「忘れがたい」であると述べられました。日本文化の基調は「無常」ですが、「忘れられない」という思いを込めて「あはれ」について深い洞察を示され、かつ福島の現況についても報告されました。


鎌田先生と質疑応答する玄侑先生


玄侑先生の報告が終わった後、司会の鎌田先生から、『古語拾遺』には「あっぱれ」という言葉が出てくるが、これも『あはれ』から派生したもの。また、『あっぱれ』は『天晴れ』と書き、天岩戸開きの際に発せられた言葉であると述べました。玄侑先生いわく鎌倉武士たちが用いた「あっぱれ」は「遖」とも書くそうで、お二人の間でディ―プな応酬が繰り広げられました。


報告する鈴木岩弓先生

死者と生者の接点



次に鈴木先生が「被災地に誕生する“祈りの場”」のテーマで報告されました。まず、「人間」とは「人の間」という意味であるが、それは「生者と死者の間」「死者と生者の間」という意味でもあると述べられ、非常に印象的でした。また、「死者と生者の接点」「死者と生者の絆」「柳田國男の祖霊神学」「『弔い上げ』の重視」「『怪異現象』の意味解釈」などのお話が興味深かったです。鈴木先生のご専門はわたしのテーマと近いので、勉強になります。


報告する稲葉圭信先生

無縁社会に共感縁が誕生か?


続いて稲葉先生が「被災地の記憶と震災伝承 気仙沼震災伝承マップの取り組み」について報告されました。震災後、医療機関による大阪府こころのケアチームが被災地に入りましたが、彼らのケアは受け入れられたのかという話をされました。また、「被災者は心を病んだ人ではない」「“気仙沼”震災伝承マップ」の話も興味深かったですが、最も印象に残ったのは「無縁社会に共感縁が誕生か?」というお話でした。「共感縁」というのは面白いですね。


報告する井上ウィマラ先生

レジリエンス」について


その後、休憩をはさんで、最後に井上先生が「津波復興太鼓 マインドフルネスとレジリエンスの視点から」について報告されました。井上先生は「支援の段階」「複雑性悲嘆」「悲嘆と信仰の問題」「宗教に期待される役割」「あいまいな喪失」「レジリエンス」などについて興味深い内容を語られました。井上報告の最大のキーワードである「レジリエンス」は、「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」だそうです。


コメントを述べる黒崎浩行先生

総合討論のようす



なお、コメンテーターとして金子昭先生(天理大学教授・倫理学)や黒崎浩行先生(國學院大學教授・宗教学・神社地域論)などが発言されました。その後、報告者4人が前に出て、総合討論が行われました。司会は、鎌田東二先生でした。


大乗仏教の論客vs上座仏教の論客

ガチンコ討論はド迫力でした!



総合討論では、さまざまな怪異現象についても言及され、とても面白かったです。
特に、憑依現象に対する対処法で玄侑先生と井上先生の意見が分かれ、お二人は激しい討論を交わしました。それは「日本仏教vsミャンマー仏教」「大乗仏教vs上座仏教」の観もあり、非常に深い問題を秘めた討論でした。わたしは、このお二人の議論をあと2〜3時間は聴いていたかったですね。まことに贅沢なトークバトルでした。


最後に全体を総括する鎌田先生



終わり近くになって、鎌田先生が突然、「今日は連携研究員である佐久間さんも来ておられますので、ご意見を伺いましょう」と言われました。ブログ「『久高オデッセイ』上映会&シンポジウム」で紹介したイベントに続く急な指名ですが、わたしは立ち上がって「葬儀の失敗が幽霊を生むのか」「戦後の沖縄にも幽霊が頻出した」「幽霊とは“慰霊”と“鎮魂”の文化装置」「儀式とは物語の力で心を安定させる」「津波による行方不明者の供養」などのテーマで5分ほど語らせていただきました。本当は、1時間くらい話したかったです。
最後に司会の鎌田先生が全体を総括されました。ガチンコ討論を丸く平和的に治める、まるで「審神者(さにわ)」のような見事な総括でした。


比叡山に向かって法螺貝を奏上する鎌田先生



それから鎌田先生は比叡山に向かって法螺貝を奏上され、シンポジウムは無事に終了しました。じつは鎌田先生は来年3月で京都大学こころの未来研究センターを退職されます。このようなシンポジウムも今回が最後とのことで、万感の想いで奏上される法螺貝の音はいつもより長く感じました。参加者全員の心に沁みたのではないでしょうか。
わたしも同センターの連携研究員をしている関係から今回のシンポジウムに参加したわけですが、わがメインテーマである「儀式」や「グリーフケア」を考えるうえで大変勉強になりました。やはり、時々はこういった研究発表会に主席すると知的刺激を受けますね。


玄侑宗久先生と

義兄弟によるカラオケ大会のようす



シンポジウムの後は、京都大学周辺の居酒屋「くれない」で白熱の議論が展開されました。
鎌田先生や玄侑先生ともいろんな話題で盛り上がりました。
なんといっても、知的な会話で飲む酒の味は格別です!
さらにその後、「義兄弟」こと鎌田東二先生と造形美術家の近藤高広さんの2人とともに三条のカラオケ屋に繰り出しました。だんご三兄弟ならぬ義兄弟3人で大いに歌いまくったことは言うまでもありません。ちなみに、カラオケは次兄の近藤さんが御馳走してくれました。
カラオケの後は、長兄の鎌田先生が「長浜ラーメン」を御馳走してくれました。
末の弟というのは、なかなか良いもんでござんす(笑)!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年7月9日 佐久間庸和