「久高オデッセイ」上映会&シンポジウム


4日の夕方、小松空港からANA756便で羽田空港に飛びました。
翌5日は日曜日でしたが、わたしはサンレー沖縄の黒木昭一部長と一緒に両国にある「シアターX(カイ)」を訪れました。ブログ「古事記〜天と地といのちの架け橋〜」で紹介した劇場ですが、ここで「久高オデッセイ第三部 風章」完成上映会&シンポジウム「大重映画と『久高オデッセイ』が問いかけるもの」が開催されたのです。



上映会&シンポジウムのチラシ(表)



このイベントは、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生が理事長を務められるNPO法人・東京自由大学とシアターXの提携記念イベントだとか。
製作者の鎌田先生は、映画監督の大重潤一郎氏の作品「久高オデッセイ」シリーズをずっと応援されてきました。この日、完成した第三部「風章」も含めて、「久高オデッセイ」三部作の一挙上映と記念シンポジウムが開催されたのです。


上映会&シンポジウムのチラシ(裏)


先日、大重潤一郎監督からお手紙が届き、以下のような内容でした。
「ご無沙汰しております。大重潤一郎です。12年かけて撮影してきました、『久高オデッセイ』がもうじき完成の時を迎えようとしております。思い返せば、2000年、写真家・比嘉康雄さんの遺言を撮影したのち、比嘉さんの遺言を受け継ぐ形で、神戸から沖縄に単身移住しました。2002年に、沖縄映像文化研究所を立ち上げ、12年に一度行われる祭祀・イザイホーのサイクルを制作期間として、撮影して参りました。13年前は、映画の行く末もわからず、また、2004年より脳梗塞や肝臓癌などを煩い、その道は決して簡単なものではありませんでした。
しかし、皆さまの暖かいお力添えを多々頂き、三部作『久高オデッセイ』が完成を迎える運びとなりました。感謝以外の言葉はございません。7月5日、東京両国・劇場シアターXにて、上映会とシンポジウムの開催が決まりましたので、ご案内を送らせて頂きます。小生は、精神的にはピチピチと元気しておりますが、身体が思うように動かず、当日会場へ出向くことは難しいと思いますが、映画をわたくしの姿と思って会いにきて頂けましたら幸いです。
どうぞみなさまも、ご自愛の上お過ごし下さい」


両国にやってきました!

芥川龍之介生育の地で

シアターXの前で

シアターXのロビーで



10時から「久高オデッセイ第一部 結章」(2006)、11時30分から「久高オデッセイ第二部 生章」(2009)上映、13時30分から「久高オデッセイ第三部 風章」(2015)が上映されました。わたしは、すでに第一部は鑑賞済みでしたが、第二部と第三部は初めて観ました。久高島の青い海と爽やかな風を感じながら、しみじみと観ました。


久高島の「気」を感じました

大重監督の撮影風景

「久高オデッセイ」のパンフレット

上映前に挨拶する製作者の鎌田先生

また、第三部のエンドロールでは協力者として「佐久間庸和」の名前、協賛として「株式会社サンレー」のクレジットが流れました。自分の名前が映画で流れたのは初めての経験なので、ちょっと感動しました。こんな素晴らしい映画に協力することができて本当に良かったです!
映画「久高オデッセイ」三部作の感想については、ブログ「久高オデッセイ」をお読み下さい。


パネルディスカッションのようす


そして15時45分からはシンポジウム「大重映画と『久高オデッセイ』が問いかけるもの」がスタートしました。パネルディスカッションに出演したパネリストは、島薗進東京大学名誉教授・上智大学グリーフケア研究所所長・宗教学)、新実徳英(音楽家・作曲家・桐朋学園大学院大学教授・「久高オデッセイ第三部 風章」作曲・音楽)、堀田泰寛(映画カメラマン)阿部珠理(立教大学教授・アメリカ先住民研究)、宮内勝典(作家、大重潤一郎とは高校時代からの親友)のみなさんで、司会は鎌田東二(「久高オデッセイ第三部 風章」制作実行委員会副実行委員長、京都大学こころの未来研究センター教授)先生でした。


司会の鎌田先生とパネリストの島薗先生



それぞれ大変示唆に富んだご発言ばかりでしたが、パネリストのみなさんのお話を聴きながら、わたしは「いつの日か、イザイホーは復活する」という確信に近い予感が湧いてきました。そのとき、サンレー沖縄は全力でサポートさせていただくたく存じます。「久高オデッセイ」で描かれた久高島の人々の日々の祈りがあれば、大重監督のいう「地下水脈」は枯れません。その地下水脈はいつの日か人々の想いの強さによって、また天のはからいによって、必ずや再び地上に噴出するでしょう。


スカイプで話す大重監督



パネルディスカッションの後半では、沖縄の施設で療養中の大重監督もスカイプ出演されました。ときどき体が辛そうな表情をされながらも、大いに語られ、その言葉は非常にパッションに満ちたものでした。また、途中で煙草をプカプカ吸い始めたのには仰天しました。大重監督は「末期の肺ガンですが、煙草は吸いますよ」と笑顔で言い放たれました。なんでも酒と煙草は禁止されているそうですが、お酒もガンガン飲むそうです。こうなると逆に、大重監督からものすごい生命力を感じてしまいます。


大重監督にお礼の言葉を述べました



パネリストの方々が大重監督にメッセージを伝えた後、司会の鎌田先生が「この映画に縁のあった方々にも一言お願いしたいと思います」と述べられ、陶芸家・美術家の近藤高弘さんに続いてわたしにもマイクを向けてこられました。打ち合わせなしの出来事だったので、ちょっと戸惑いましたが、わたしはまず、「大重監督、素晴らしい映画を作っていただいて、本当にありがとうございます」とお礼を述べました。


沖縄に対するわが想いを述べました



それから、わたしは「つねに先祖とともに暮らしている人々の姿に感動しました。死者を軽んじる現代の日本人が失ってしまった精神世界です。わたしは、100年前に柳田國男折口信夫が『日本人の源郷は沖縄にある』と喝破したように、沖縄には日本の初期設定があると思っています。今こそ、『本土復帰』ではなく『沖縄復帰』するべきであると思っています」と述べました。スカイプの中の大重監督が笑顔で「ありがとう」と言われ、わたしの胸は熱くなりました。
わたしの沖縄への想いを綴った産経WEBの〝沖縄復帰“で無縁社会を乗り越えよう」ブログ「沖縄のセレモニーホール」で紹介した「毎日新聞」のコラムもぜひお読み下さい。


大重監督に法螺貝を奏上する鎌田先生

最後のメッセージを語る大重監督



シンポジウムの最後には鎌田先生が大重監督のために法螺貝を吹かれました。
大重監督は感慨深げに「鎌田さん、どんどん法螺を吹いてよ」とつぶやきました。最後に鎌田先生が万感の想いで「大重さん、この映画は100点満点ですよ」と述べ、「大重さん、この世であろうが、あの世であろうが、ずっとよろしくお願いしますよ」と言われました。大重監督は「わたしの命はもうすぐ尽きますが、どうか目に見えないものをおろそかにしない社会となることを願っています。久高島の人たちのように、その土地で必死に頑張っている人がたくさんいる。その人たちの頑張りが報われる世の中になってほしい」とのメッセージを発しました。
ちなみに、大重監督はいつも「ムーンサルトレター」を愛読されているそうです。
『満月交遊 ムーンサルトレター』が刊行されたら、必ずお届けするつもりです。


超満員でした!



それにしても、会場は超満員で補助椅子もたくさん出ました。
日本を代表する有名な映画監督をはじめ、各界の著名人の姿も多く見られました。
わたしは、ブログ「『生と死』を考える対談」で紹介した今年2月に東京の恵比寿で開催されたトークイベントと比較してしまい、「同じイベントでも動員力が月とスッポンだなあ」と思いました。あのときは、鎌田先生もわたしもちょっとロンリーでしたから(苦笑)。


陶芸家・美術家の近藤高弘さんと

写真家の須田郡司さんと



イベント終了後、シアターXのロビーでさまざまな方々とお話しました。
義兄弟」である近藤高弘さんをはじめ、出雲在住の写真家である須田郡司さん、東京大学名誉教授で東京自由大学の理事長でもある海野和三郎さん、「未来医師イナバ」こと東大病院の稲葉俊郎さんとも話しました。


打ち上げでカンパイ!

鎌田先生の挨拶を聴く

海野和三郎先生のスピーチを聴く

島薗進先生と歓談する



その後、わたしたちは両国のチャンコ屋さんで開かれたイベントの打ち上げに参加しました。島薗先生や鎌田先生ともじっくり歓談することができ、わたしは本場のチャンコ鍋に舌鼓を打ちながら有意義かつ楽しい時間を過ごすことができました。


もう一度、カンパイ!

映画の主題歌を合唱する♪

まことに楽しい宴でした

鎌田東二先生と



この日のイベント成功は、映画そのものの力ももちろんありますが、製作者である鎌田先生の熱い想いと広大なネットワークに依るところが大です。「現代の縁の行者」がひときわ光を放った一日でありました。鎌田先生、大変お疲れ様でした!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年7月6日 佐久間庸和