たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「誠」です。



新撰組はその組旗に「誠」の一字を入れ、吉田松陰は「至誠」を座右の銘としました。
誠とは何か。四書のひとつ『中庸』には、「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」と説かれています。誠とは、天が定めた道である。だから誠を身に備えることは、人としてのあるべき道です。



誠という字は「言」と「成」からできています。何かを志し、それを述べることを「言」といい、それを行なうことを「成」といいます。述べて行なわなければ「誠」ではありません。中国でも日本でも同じです。誠の道はこれによって向上するものであり、達すると誠の極みで、これを「至誠」と言います。人が誠に至れば神と感応し、万事ことごとくうまくいきます。中村天風によれば、わが国の「大和魂」、孟子の「浩然の気」、文天祥の「正気」は、言葉は違うけれども「至誠」と同じことであるといいます。


加藤清正は、誠の人であったといいます。文禄四年に京都で大地震があり、秀吉の伏見城も壊れて、多くの死者も出ました。このとき、清正は秀吉の勘気を受け謹慎の身でしたが、「たとえ後で罪を得ても座視しているわけにはいかない」と、ただちに家来を引連れてかけつけ、秀吉の警護に当たりました。その誠実な働きには秀吉も感激し、怒りもとけて、再び重用されるようになったのです。


清正はその晩年に、「自分は一生のあいだ、人物の判断に心を尽くし、人相まで勉強した。でも、結局はよくわからなかった。ただ言えるのは、誠実な人間に真の勇者が多いということだ」と言ったといいます。これは彼自身が多くの部下を用いた経験上での結論でしょうが、同時に自分自身がまた、誠実を通した人でもあったのです。秀吉の死後、天下の人心がみな家康になびくなかで秀頼を守り続けました。二条城での家康と秀頼の会見にも命がけでつきそっていくなど、終生、秀吉の恩顧を忘れず、ひたすら豊臣家の安泰のために尽くしました。さすがの家康もその誠忠ぶりには感嘆を惜しまなかったとも言われています。



松下幸之助は、この清正の生き様について、結局、誠実な人はありのままの自分というものをいつもさらけだしているから、心にやましいところがないのだと評価しています。そして、事業でも政治でも、指導者はつねに誠心誠意ということを心がけなくてはならないと述べています。元PHP研究所社長の江口克彦氏によれば、松下幸之助自身がまさに誠実の人そのものであったそうです。そして、「誠実」と「熱意」と「素直な心」の3つが松下幸之助が成功した理由だといいます。この3つは成功へのトライアングルなのである。
なお、「誠」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

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*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年6月25日 佐久間庸和