世界平和パゴダ戦没者慰霊祭

今朝の北九州は雷鳴が轟き、一時は非常に激しい雨が降りました。
ブログ「世界平和パゴダ『終戦70周年記念戦没者慰霊祭』」で紹介したように、5月10日から14日にかけて、世界平和パゴダではミャンマー僧による「パターン祭」が行われています。


世界平和パゴダの門の前で

パゴダの入口で



「パターン祭」のパターン(発趣論)とはアビダンマ七論最後の教えで、最も尊い経典とされています。世界平和パゴダのパターン祭では、第二次世界大戦戦没者の慰霊と世界平和を祈るため、ミャンマーよりこのために来日した僧侶約20名が、5日間96時間をかけてパターン経典の全てを唱えあげます。『慈経 自由訳』(三五館)でわたしが訳させていただいた上座仏教の根本経典である「慈経(メッタ・スッタ)」ももちろん唱えられました。


慈経 自由訳

慈経 自由訳


パターン祭のようす

入場時に合掌しました

最前列に座らせていただきました

パターン祭のようす



「パターン祭」の締めくくりとして、14日には戦没者慰霊合同参拝を行われました。
わたしも、朝一番で合同参拝に参加し、戦没者の御霊に祈りを捧げました。
今年は終戦70周年の年です。日本人だけでじつに310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わって70年目の節目なのです。今年こそは、日本人が「死者を忘れてはいけない」「死者を軽んじてはいけない」ということを思い知る年であると思います。


戦没者の霊位

心からの祈りを捧げました



わたしは太平洋戦争において最も悲惨だったともいわれるビルマ戦の犠牲者の方々をはじめ、すべての戦没者に対して心からの祈りを捧げました。日本人の犠牲者以外のすべての国の犠牲者に対しても冥福を祈りつつ、心の底から「戦争の根絶」と「世界平和の実現」を祈念しました。世界平和パゴダは諸事情から2012年に休館されていましたが、多くの方々の尽力で再開することができました。終戦70周年の戦没者供養に間に合って、本当に良かった!
ミャンマーの高僧たちに供養されて、故郷を遠く離れたビルマの地で散っていかれた英霊たちも、さぞ喜ばれているのではないでしょうか。そう思うと、胸が熱くなりました。
そして、ブログ「ビルマ日本人墓地」で紹介した、かの地の墓地を思い出しました。


慈を求めて』を持ってパゴダ前に立つ

慈を求めて

慈を求めて

この世界平和パゴダが2013年8月29日に再開したとき、記念として出版したのが『慈を求めて〜なぜ人間には祈りが必要なのか』(三五館)です。この本の帯にはパゴダの前に立つわたしの写真が使われていますが、今日はそのときと同じモス・グリーンのネクタイを締めてきました。これはパゴダの入口に飾られたステンドグラスと同じ色なのです。わたしは、世界平和パゴダを日本人が無縁社会を乗り越える拠点にしたいと考えています。



この後、わたしは「黒崎ひびしんホール」に向かいます。
ここの大ホールで開催される民生委員、児童委員の総会において、わたしが講演するのです。テーマは「人は老いるほど豊かになる」です。今日も「天下布礼」のために頑張ります!




*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年5月14日 佐久間庸和