母の日


今日はわたしの誕生日ですが、「母の日」でもあります。
午後から、わたしは妻と一緒に実家を訪れました。妻が自分で花を買ってきて作ったフラワー・アレンジを持って行きました。今年は例年にも増して力作であります。


妻が作った「母の日」のフラワー・アレンジメント



わたしが生まれた52年前の5月10日も「母の日」だったそうです。
わたしの母は、「母の日」に最初のわが子を産み、母になったのです。
わたしが子どもの頃、よく母が「あんたは母の日に生まれた子だから、優しい人になるはずよ」と言っていました。それで、わたしはずっと「優しい人にならなければ」と思ってきました。わたしは、果たして優しい人に成長したでしょうか。至らぬ我が身を恥じ入るばかりです。


今年の花はひときわ力作です!



5月は、わたしにとって特別な月です。
5日の「子どもの日」、10日の自分の「誕生日」、そして「母の日」があるからです。
「母の日」は5月の第2日曜日なので、今年は12日というわけです。
幼いときから、いつもこの3つの「日」は3点セットでした。
最近は、この3つは実は同じことなんだと気づきました。
それは、自分を産んでくれた母親に感謝する日だということです。



ヒトの赤ちゃんというのは自然界で最も弱い存在です。
すべてを母親がケアしてあげなければ死んでしまう。
2年間もの世話を必要とするほどの生命力の弱い生き物は他に見当たりません。
わたしは、ずっと不思議に思っていました。
「なぜ、こんな弱い生命種が滅亡せずに、残ってきたのだろうか?」と。



あるとき、その謎が解けました。
それは、ヒトの母親が子どもを死なせないように必死になって育ててきたからです。
出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うもの。実際、母親の命と引きかえに多くの新しい命が生まれました。
また、産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。
まさに、母親とは命がけで自分を産み、無条件の愛で育ててくれた人なのです。


実家で両親と・・・・・・



実家に行くと、母は嬉しそうに迎えてくれました。「母の日」の花を手渡すと、とても嬉しそうでした。今日は父も在宅で、みんなで一緒にお菓子を食べ、お茶を飲んでから一緒に写真を撮りました。両親から誕生日祝いまで貰いましたが、いくつになっても嬉しいものです。


子どもの頃に愛用していた人形



それから、今日は驚いたことがありました。両親とお茶を飲んでいるとき、テレビの脇に小さな人形が置かれていることに気づきました。見ると、薄汚れたカウボーイ姿の男の子のソフビ製マスコット人形でした。それを見た瞬間、わたしの脳の中の記憶の回転盤が猛スピードで回り始めました。それは、わたしが2〜3歳の頃に愛用していた人形だったのです。筑邦銀行の「ちくぎんちゃん」というマスコット人形なのですが、幼いわたしはそれを肌身離さず持っていました。寝るときにもいつも抱きしめていたそうです。
たしか、あと勧銀の「のばらちゃん」という女の子の人形も愛用していたはずです。
日本勧業銀行のマスコットでしたが、あれも家のどこかに眠っていないかな?


思い出の人形を手に母と・・・・・・



「なつかしい人形が見つかったから、渡そうと思って・・・」と母は言っていましたが、これはもう最高の誕生日プレゼントです。50年前の自分に再会したような気分です。これから、この人形を見るたびに両親の恩に感謝したいと思います。わたしは、思い出の人形を持って、母と2人で記念撮影しました。最後に、母に「いつまでも元気でね」と言って、実家を後にしました。


長女から届いたバラの花束とプリザーブド・フラワー



また、今日は東京にいる長女から妻へ「母の日」の花が届きました。広尾の「ローズ・ギャラリー」の1本800円もするバラの花束です。さらには、バラのプリザーブド・フラワーも一緒に送ってくれました。もちろん、妻は大喜びでした。わたしの誕生日プレゼントとして、プレゼントの品とともに手作りのストロベリー・パイや焼菓子も同封されていました。
わが子から何かを贈られると、なんともいえぬ幸せを感じるものですね。
なんだか、「世界中の親子に幸あれ!!」と言いたい気分です。
THIS IS HEARTFUL♡



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年5月10日 佐久間庸和