夢とシンクロ


22日の夜、「サロンの達人」こと佐藤修さんからメールが届きました。
わたしが送ったメールの返信なのですが、そこには非常に不思議な夢の話が書かれていました。ブログ「佐藤修さんとの再会」に書いたように、わたしは昨年5月22日に湯島のCWSコモンズのオフィスで佐藤さんにお会いしました。そのとき、印象に残ったのは夢の話で、佐藤さんは8年前に亡くなられた奥様の気配を夢でよく感じると言われていました。また、2011年3月11日の前まで、地震津波の夢をよく見られたそうですが、実際に東日本大震災が起こった後は見なくなったとも言われていました。じつに興味深いお話でした。


佐藤修さんからのメールを背にした『明恵 夢を生きる』



22日の夜に届いたメールには、次のように書かれていました。
「最近、『明恵 夢を生きる』という河合隼雄さんの本を読みました。面白かったです。そのせいか、最近は夢をよく見るのですが、佐久間さんに伝えたい夢を昨日見ました。それでメールしようと思っていたところでした。これもシンクロですね」



それから、佐藤さんは次のようにメールに書かれていました。
「実は5年ぶりくらいになると思うのですが、津波の夢を見ました。
前にお会いした時にお話ししましたが、3.11の前によく津波の夢を見ていたのですが、3.11以後、まったく見なくなっていたのです。
まだ1回きりですが、なにか少し嫌な気持ちでした。ただ今回は、津波に襲われた夢ではなく、これまで見たことのないような海の底に、なぜか私たち家族がいるのです。
もちろんそこには水はなく、水が完全に引いている状況です。
そこから見る陸地が、異様に美しいのですが、緑は全くない、茶色の岩肌です。
その光景に見取れているうちに、沖の方から、波が押し寄せてくるという夢です。
私も家族も、逃げようとしたところで、目が覚めました。
いや正確には、もう少し夢は続いたのですが、内容が思い出せないのです。水が引いた海底から見た、陸地の断崖の風景の美しさが強烈に記憶に残ったためかもしれません」


明恵 夢を生きる (講談社+α文庫)

明恵 夢を生きる (講談社+α文庫)

佐藤さんが読まれた『明恵 夢を生きる』は、わたしの書斎にもあります。
現在は講談社+α文庫からも出ていますが、わたしの蔵書は京都松柏社から発行され、法蔵館から発売されたハードカバーです。これまでに3回は読んだ、愛読書の1つです。
ユング派の心理学者で、日本における夢分析の大家として知られた河合隼雄が宗教と科学の接点に立って書き上げた500枚の労作で、第1回新潮学芸賞を受賞しています。
その第一章「明恵と夢」の冒頭には「ながきよの夢をゆめとぞしる君やさめて迷へる人をたすけむ」という『明恵上人歌集』の歌が紹介され、続いて以下のように書かれています。
明恵房高弁は、承安3年(1173)に生まれ、貞永元年(1232)に60歳(数え年)で没した、鎌倉時代初期の名僧である。彼の生きた時代は、平家から源氏へ、源氏から北条へとあわただしく権力の座が移り、その間にあって、法然親鸞道元日蓮などが現われ、日本人の霊性が極まりなく活性化された時代であった。明恵はこれらの僧と共に名僧として崇められたが、他の僧のように『新しい』宗派を起こしたのでもなく、彼の教えを守る人たちが現代に至るまで大きい宗派を維持してきたというのでもない。しかし、彼は世界の精神史においても稀有とい言っていいほどの大きい遺産をわれわれに残してくれた。それは、彼の生涯にわたる膨大な夢の記録である」



河合隼雄は、その臨床経験のすべてを傾けて、明恵が残した『夢の記』に込められたメッセージを探ります。そして、夢に対する態度によって、夢も変われば人間も変わるということを訴えるのです。わたしは、佐藤さんが見たというこの夢が心に引っ掛かりました。
何かとても大切なメッセージが込められているようにも思えます。
もし、この夢の意味がわかるという方がいましたら、ぜひ教えていただけないでしょうか?
このブログの欄外の一番下にあるアドレスからメールを頂戴できれば幸いです。


湯島のCWSオフィスで佐藤修さんと



佐藤さんは自身のブログ「CWSプライベート」に「シンクロの動悸」という記事を21日に書かれています。その記事を読んで、わたしは驚きました。わたしは20日の夜に『唯葬論』を書き上げましたが、執筆中はシンクロ二シティが頻発していました。佐藤さんは「シンクロの動悸」の中で「インドラの網」について言及されています。「インドラの網」については、以前も佐藤さんは「日本の仏教界のメッセージは何でしょうか」という記事を書かれています。この記事にはわたしの名前も登場するのですが、わたしも「インドラの網」について「この世はすべて有縁である 無縁社会などありえない!」という社長訓示で言及しています。
それで、ここからがシンクロなのですが、わたしは20日の夜にインドラの網による「有縁社会」のことを書いて、『唯葬論』を脱稿したのです。その翌日、佐藤さんが「シンクロの動悸」を書かれました。これもまた、シンクロ二シティではないかと思います。

今夜にしても、わたしが佐藤さんにメールを送ろうとした同時刻に、佐藤さんは「佐久間さんに津波の夢を知らせなければ」と思い、メールをしようとされていたそうです。言っておきますが、わたしたちはけっして熱心なメル友ではありません。互いにメールを交わすのは、せいぜい1年に2、3回といったところです。これもまた、シンクロ二シティとしか思えません。
ユングによれば、シンクロ二シティとは宇宙の意思であり、それに気づく人間には何らかのミッションが与えられるとか。ならば、佐藤さんとわたしにミッションが与えられたのでしょうか。
なお、24日にも佐藤さんがブログで「シンクロニシティが続いています」と言う記事を書かれており、そこにもわたしが登場しています。なんだか、面白くなってきました。




*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年4月23日 佐久間庸和