四島司お別れの会


この記事は、当ブログ990本目の記事となります。
6日の午前中、小倉駅から新幹線で博多に向かいました。
グランド・ハイアット福岡で開催された「お別れの会」に出席しました。
福岡シティ銀行頭取の故四島司氏の「お別れの会」です。
故人は今年2月23日にご逝去されました。享年90歳でした。


グランド・ハイアット福岡の前で



故人は、53年間という人生の半分以上を銀行家として、また九州・アジア経営塾の塾長としてご活躍された方です。わたしは若い頃に福岡シティ銀行主宰の勉強会「平成会」のメンバーとして、故人には大変お世話になりました。
ブログ「祝う心」に書いたように、2012年の4月11日に同じグランド・ハイアット福岡で四島司氏の米寿祝賀会が開催される予定でしたが、体調による理由で中止になったことがありました。そのとき招待状を頂いていたわたしは、久しぶりに四島氏とお会いするのを楽しみにしていました。その後もお会いできる機会がないかと思ってはいたのですが、結局、今日の「お別れの会」を迎えました。


素晴らしい「お別れ会」でした

管弦楽の演奏もありました

故人には大変お世話になりました



お別れ会は非常に盛会で、優に1000人以上の方が来られていたのではないでしょうか。
お別れ会場をはじめ、ホテル内の数箇所で「四島司の思い出」として、多くの貴重な写真パネルが展示されていました。わたしもこれまで無数のお別れ会に出席しましたが、ここまで内容が充実した展示は初めてです。まるでグランド・ハイアット福岡そのものが「四島司記念館」に化したような観がありました。


写真コーナーが充実していました

写真で、故人のありし日を偲びました

なつかしい写真もありました

「四島司の思い出」コーナー



四島司氏は大学卒業後、1951年に父の一二三氏が創立した福岡相互銀行(のちの福岡シティ銀行)に入行されました。69年に44歳で社長に就任。当時は新興企業だったロイヤルやベスト電器などを支援し、業容拡大を後押しされました。北九州の企業でも、三井ハイテック、ゼンリン、第一交通産業などを育てられてきました。80年代は全国相互銀行協会(のちの第二地方銀行協会)会長として相互銀行の普通銀行への転換に尽力されました。2002年に福岡シティ銀行西日本銀行との経営統合が決定した翌年の03年に頭取を退かれ、統合による西日本シティ銀行の発足直前の04年9月、銀行の役職から引退されました。絵画や彫刻、陶芸などへの造詣が深く、大分市出身の建築家・磯崎新氏を見いだして、本店や支店の設計を任せたことでも知られます。「経済」と「文化」の両面において偉大な功績を残されました。


清談会場にも肖像画、写真が展示されていました



「お別れの会」の会場を出た後、わたしたちは清談会場へと案内されました。
そこには軽食などが用意されていましたが、故人の肖像画や写真パネルも展示されていました。知り合いがたくさんいたので、みなさんと一緒になつかしい故人の思い出話に花を咲かせました。また、平成会のメンバーにも久しぶりに再会しました。こういう社交を可能にするところが「お別れの会」の素晴らしいところですね。


博多駅のホームで



グランド・ハイアット福岡を出たわたしは、博多駅へ向かいました。駅のホームには、九州新幹線「つばめ」が停車していました。わたしは、それを見ながら、ブログ「北陸新幹線に乗りました」で紹介した北陸新幹線「かがやき」を思い出しました。
すると、「マイ・ローヤー」こと辰巳先生にバッタリお会いしました。
わたしたちは新幹線の隣席に座って、小倉まで四方山話をしました。ブログ「安倍昭恵総理夫人講演会」で紹介したイベントの話題が中心でしたが、辰巳先生から「昭恵夫人が松柏園のお弁当が大変美味しかったと言われていましたよ」とお聞きし、嬉しかったです。
今夜は、副会長を務める北九州中経協の正副会長会議および理事会に出席します。




*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年4月6日 佐久間庸和