豊崎紫雲閣竣工式

昨日から沖縄に来ています。気温が28度あります。4日の11時から、豊崎紫雲閣の竣工神事が行われました。場所は、沖縄県豊見城市豊崎1−200です。サンレーグループとして、沖縄県内で7番目、全国で61番目(いずれも完成分)の紫雲閣です。


完成した豊崎紫雲閣の外観



場所は、沖縄最大のアウトレットモール「あしびなー」の隣接地です。
素晴らしい立地ですが、館内に入ると、見事な胡蝶蘭がたくさん届いていました。
また、南国の沖縄にふさわしく、ヒロ・ヤマガタ山下清の明るい絵が多数飾られていました。


たくさんの花が届いていました

ヒロ・ヤマガタの絵が多数飾られています

佐久間会長と写真家の安田淳夫さんを囲んで



神事の進行役は、サンレー沖縄総務課の横木大輔課長が務めました。神事では、地元を代表する神社である波の上宮の辻信彦権禰宜にお越しいただきました。波の上宮はブログ「波の上ビーチ」で紹介した那覇の宗教共生ゾーンにある地元を代表する神社です。イザナミノミコトを御祭神としています。その隣は寺院で、真言宗高野山派の波上山護国寺です。
さらにその隣は孔子廟至聖廟孔子道教の神々がともに祀られています。孔子廟に祀られている孔子像は、なんと「孔子の子孫」こと世界孔子協会の孔健会長が寄贈したものだそうです。ここでは、わずか数百メートルの圏内に道教も含め、神道、仏教、儒教の宗教施設が隣接しています。いわば、異なる宗教が共生しているのです。まさに、「沖縄のチャンプルー文化ここにあり!」を見せつけられる思いがします。


神饌=「おもてなし」の原点

モダンな式次第

竣工式のようす

一同礼!



開式の後、修祓之儀、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀を行いました。
それから、玉串奉奠です。最初にサンレーグループ佐久間進会長、続いて、株式会社サンレーの社長であるわたしが玉串を奉奠しました。


柏手を打つ佐久間会長

わたしも玉串奉奠しました



それから、屋部土建の津波達也社長、サンレー沖縄本部の高橋相談役、サンレーグループ紫雲閣推進本部長である東常務が次々に玉串を奉奠しました。高橋相談役とともに沖縄本部の社員、東常務とともに紫雲閣の社員も二礼二拍手一礼しました。その後、撤饌、昇神之儀、そして閉式と、滞りなく竣工清祓神事を終えました。


感謝状を贈呈させていただきました



それから、感謝状贈呈式を行いました。
屋部土建の津波社長に感謝状をお渡ししました。
わたしは、金一封を添えて、心よりの感謝を込めてお渡ししました。


主催者挨拶をしました



そして、主催者挨拶です。わたしは施主として次のように挨拶しました。
「このように立派なホールを建設できて、本当に嬉しく思います。これで、会員様に満足のゆく『おもてなし』を提供することができます。わたしは最近、『決定版 おもてなし入門』という本を書きましたが、もともと日本人の『おもてなし』の心は、言葉を交わさなくても相手の気持ちを『察する』という行為そのものにあり、日本人はその心に長けていました。なぜか。そこには日本の神道の『神祭』があります」


神饌を示しながら、「おもてなし」について語りました



わたしは、背後の神饌を示しながら、「これが『おもてなし』の源流です。ここには、お神酒や米や野菜などのお供え物がある。神様は『酒が飲みたい』とか『野菜をくれ』などとは一言も言いません。しかし、人間の側が『神様はきっとこういったものをお求めではないか』と察して行動する。お客様から『お水をください』と言われたら、『かしこまりました』と言って水をお出しする。これは、サービスです。おもてなしとは、『このお客様は喉が渇いておられるのではないか』と察して、何も言われなくても水をお持ちすることです。わたしたちは、お客様に対して最高の『おもてなし』を提供したいと願っています」と述べました。


豊見城(とみぐすく)について話しました



また、わたしは「豊見城(とみぐすく)という地名は、13世紀から15世紀の三山時代に、後の南山王となる汪応祖(わんおうそ)が漫湖を眺望する高台に城(グスク)を築き、それを『とよみ』と呼んだことに由来すると聞いております。『とよみ』とは『鳴り響く』、『名高い』などの意味があり、それを時代とともに『とよみぐすく』『てぃみぐすく』『とみぐすく』と変遷したとか」と述べ、続いて「この豊見城市ですが、『都市成長力日本一』として有名です。東洋経済新報社が実施する『東洋経済別冊都市データパック2012年版』で豊見城市が成長力ランキングで全国810市中、1位となりました。豊見城市の1位は2006年、2010年度に続き3度目です。2011年度は東日本大震災の影響でランキング発表がなかったため、2回連続での1位となります。東洋経済新報社の成長力ランキングは人口や事業所数、商業販売、住宅着工、所得・税収などの個人消費や産業関連の主要指標の過去の5年間の伸びを数値化しはじき出しており、非常に信頼度の高いものです」と説明しました。


沖縄への想いを正直に述べました



「このように素晴らしい豊見城市に新しい紫雲閣をオープンさせることができ、大変嬉しく思います。もしかすると、このような観光地にセレモニーホールは似合わないと思われた方もおられたかもしれません。建設に御理解いただいた住民の方々には心より感謝を申し上げます。いま、辺野古の新基地建設をめぐる問題で、基地建設を推進している国と反対を掲げて沖縄県知事に当選した翁長知事とが対立しています。ここで政治的な問題に立ち入ることは控えますが、わたしは、『基地』の反対が『セレモニーホール』ではないかと思っています。もともと、わが社が冠婚葬祭イノベーションとして発明したとされるセレモニーホールとは究極の平和施設ではないでしょうか。なぜなら、『死は最大の平等』であり、亡くなった方々は平和な魂の理想郷である『ニライカナイ』へと旅立たれるからです。セレモニーホールとは平和な世界への駅であり港であり空港なのだと思います」


セレモニーホールを教育の場に!



また最近、子供さんへの教育の場としてセレモニーホールが注目されています。
解剖学者として有名な養老孟司氏は、著者『死の壁』(新潮新書)で、子供に「死」を教えるためには、映画やゲームは何の意味もない。それは本物の死とは関係ない。それよりは葬式に連れて行ったほうがいい。人はいずれこうなるという真理を教えることになると述べておられます。わたしも葬儀ほど子供さんの教育にとって大切な場はないと思っています。それで、豊崎紫雲閣がそのような地域の教育の場になれば非常に嬉しいということを申し上げました。


紫の雲ぞ来たれり豊見城 守礼之邦の礼を守らん



そして、わたしは「沖縄は『守礼之邦』と呼ばれます。もともとは琉球宗主国であった明への忠誠を表す言葉だったのでしょうが、わたしどもは『礼』を『人間尊重』という意味でとらえています。沖縄の方々は、誰よりも先祖を大切にし、死者の供養をされる。日本でも最高の『礼』を実現していると思っています。今年は、終戦70周年の年です。先の戦争では、沖縄の方々は筆舌に尽くせぬ大変なご苦労をされました。わたしどもは、心を込めて、沖縄の方々の御霊をお送りするお手伝いをさせていただきたいと願っています。そして、周囲の皆様から『サンレー豊崎紫雲閣を作ってくれて本当に良かった』と言っていただけるように精進したいと思っております」と述べました。そして最後は、万感の想いをこめて、「紫の雲ぞ来たれり豊見城(とみぐすく) 守礼之邦の礼を守らん」という歌を詠みました。


紫の雲ぞ来たれり豊見城 
           守礼之邦の礼を守らん(庸軒)



その後、島袋副支配人より、この地の方々の人生の卒業式を心をこめてお世話させていただき、地域に愛される会館をめざしますという力強い決意を受け取りました。
決意表明の後は、参加者全員で集合写真を撮影しました。


島袋副支配人の決意表明を受ける

集合写真を撮影しました

直会(なおらい)のようす

直会の冒頭で挨拶する佐久間会長



集合写真を撮影した後は、直会(なおらい)に移りました。
直会の冒頭では、佐久間会長が挨拶しました。会長はニコニコしながら「こんな素晴らしい土地にこんな素晴らしい施設ができ、まことに有難いことです。沖縄にはまだ7つしか紫雲閣がないと聞いて、驚いています。頑張って、もっともっと作らないといけません」と述べました。


挨拶する波の上宮の辻権禰宜

権禰宜の発声で乾杯しました



会長の挨拶の後は、波の上宮の辻信彦権禰宜が挨拶をされました。
権禰宜は「本日は、誠におめでとうございました」と述べられ、続いて「先ほどの佐久間社長の熱い想いをお聴きして、感動いたしました。心の底から冠婚葬祭業と言うお仕事に使命を感じておられます。佐久間会長は國學院の大先輩ですし、サンレーさんという会社は『神の道』に通じておられると思いました」と有難いお言葉をいただきました。それから、辻権禰宜の乾杯の発声で直会がスタートしました。



直会のようす

最後は、末広がりの五本締めで・・・

儀式イノベーションを実現する「禮鐘」の前で



乾杯後は、マリエールオークパイン那覇の美味しい弁当を食べながら、楽しく歓談しました。
最後は、サンレー沖縄の小久保達美執行役員事業部長がサンレー名物「末広がりの五本締め」を行いました。直会を終えて外に出ると、新時代の儀式イノベーションを実現する「禮鐘」が置かれていました。


沖縄タイムス」の取材を受けました

豊崎紫雲閣の前で写真撮影をしました



直会の終了後、わたしは新聞の取材を受けました。沖縄タイムス社編集局の社会部の天久仁部長がわざわざ来館されて、インタビュー取材を受けました。ブログ『沖縄力』に書いたように、わたしは以前、「沖縄タイムス」でコラムを連載していました。「沖縄タイムス」さんにはいつも社業の価値を良く御理解いただき、感謝しています。
わたしは天久部長の質問に答えながら、沖縄における究極の平和施設としてのセレモニーホールの意義と、世界平和における沖縄の重要性について熱く語りました。この日のインタビューの内容は、近く「沖縄タイムス」紙上に掲載されるそうです。
新聞といえば、今日の「琉球新報」「沖縄タイムス」の地元二大紙に豊崎紫雲閣の全面広告が掲載されました。「守礼之邦」の新しい豊崎紫雲閣にどうぞ御期待下さい!


琉球新報」「沖縄タイムズ」4月4日朝刊広告



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年4月4日 佐久間庸和