創立48周年記念式典

今日は、株式会社サンレーの48回目の創立記念日です。
朝から松柏園ホテルの顕斎殿で、役職者参加の神事が執り行われました。
戸上神社から是則神職にお越しいただき、滞りなく神事を行いました。
玉串奉奠をするとき、わたしは会社の発展と社員の健康を祈念しました。


今朝の神事のようす

玉串奉奠する佐久間会長

わたしも玉串奉奠しました

会長とともに入場しました


その後、500名を超える社員が参集して、「創立記念式典」が開催されました。
最初に、佐久間進会長とわたしが入場しました。


一同礼!



まず、北九州紫雲閣の渕上亨副支配人による「ふれ太鼓」で幕を明け、総務課の國行昭年課長による「開会の辞」に続いて全員で社歌を斉唱し、それから戸畑営業所の浦壁俊幸所長によって「経営理念」「S2M宣言」が読み上げられ、全員で唱和しました。


創立48周年記念式典のようす

会長訓示のようす



それから、佐久間進会長の訓示です。会長は日頃から考えていることをまとめて話したいということで、いつもは20分の訓示を30分の時間を用意して、大いに語りました。
まずは、「48周年を一緒に迎えることができて嬉しく思います」と述べました。
それから、「かつて、わたしの想いをレコードにしました。どうそ、この歌を聴いて下さい」と言って、佐久間会長が「平安太郎」の名前で作詞した「冠婚葬祭」という歌を流しました。


この歌はコロムビア・レコードとわが社のコラボで製作したもので、当初は都はるみさんに歌ってもらう予定でしたが、結果的には西来路ひろみさんが歌いました。結婚式や葬儀の場面で助け合う地域の人々を歌った内容で、まさに互助会の精神が表現されています。


「互助共生」を訴える佐久間会長



それから、佐久間会長は「創業守礼」の意味について話しました。創業時の経営理念をどう持ち続けているかが企業にとって最も重要なことだとして、渋沢栄一の「論語と算盤」、松下幸之助の「共存共栄」、出光佐三の「人間尊重」などを紹介しました。それから、わが社の経営理念は國學院大學の恩師である樋口清之先生から「冠婚葬祭とは礼そのものだよ」とアドバイスされたことがきっかけで生まれたと述べました。そして、これからの時代は「互助共生」をテーマであり、わが社は各地で「ともいき倶楽部」を展開して、紫雲閣を「楽しい場所」にして、互助会を「入って安心、使って満足」にしなければならないと訴えて、降壇しました。


わたしも社長訓示をしました



続いて、わたしの「社長訓示」の時間となりました。
わたしは、以下のような内容の話をしました。
無事に48周年を迎えられたのは、みなさんのおかげで、心から感謝しています。
今年6月、全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)第56回定時総会において わたしは全互連会長に就任しました。わたしは、不肖の身を顧みず、甚だ微力ながら冠婚葬祭業界並びに全互連加盟互助会の発展のために会長をお引受けすることにしました。日本に互助会が生まれてから半世紀以上がたち、一部では制度疲労を起こしています。今こそ、「初期設定」と「アップデート」の両方が必要です。全互連は冠婚葬祭互助会の保守本流です。保守とは、守るべきものを守るために改革することです。守るべきものとは、「文化の核」としての日本人の儀式であり、それを支える「相互扶助」の心です。互助の心を回復し、有縁社会を取り戻すために、わたしは全力で臨む覚悟です。


「おもてなし」の神髄は冠婚葬祭にあり!



佐久間会長の母校である國學院大學の特別講座でも話したのですが、冠婚葬祭互助会業は日本人に非常に合ったビジネスだと思います。
国学や日本民俗学は「日本人とは何か」を追求しましたが、たとえば時代のキーワードになっている「おもてなし」にも、その答えがあります。
「ジャパニーズ・ホスピタリティ」とも呼べる「おもてなし」には神道の「神祭」、仏教の「布施」、儒教の「礼」といった要素が混ざり合っています。まさに冠婚葬祭でも神仏儒が混在しており、本当の「おもてなし」とは冠婚葬祭の中にあるのかもしれません。


「互助会の原点」を語りました



先月、「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」のミッションでミャンマーに行ってきました。
「FFSS(フリー・フューネラル・サービス・ソサエティ)」というNPO団体を訪問しました。この団体は、今は亡きミャンマー映画界を代表する監督であるウーツーカー氏が創設しました。現在は、1959年生まれのチョートゥー氏が代表を務めています。チョートゥー氏は政治活動家ですが、もともとは俳優であり、アーティストであり、映画のディレクターでもあります。俳優としてはミャンマー映画界の最大のスターの一人だった人です。この団体、日本で例えるなら黒澤明が創設して、役所広治が代表を務めているといったイメージでしょうか。


ミャンマーNPO団体の話をしました



チョートゥー氏は、ミャンマーにおける超有名人です。そして、その知名度を武器に、2000年代からは貧困を助ける活動をずっと続けています。災害支援、環境、医療、教育・・・・・・その活動は多岐にわたりますが、最も代表的な活動が貧しい人々に無料で葬儀サービスを提供することです。チョートゥー代表には、「アウンサンスーチー女史に続き、ミャンマー人として2人目のノーベル平和賞受賞者になるのではないか」という声が多いそうです。ミャンマー人はよく奉仕・寄付し、助け合いの心がとても強い国民ですが、そのシンボル的存在がFFSSなのかもしれません。わたしは、このFFSSに互助会の原点を見ました。


500人の社員を前に話しました



FSSの本部を訪れて、非常に驚いた出来事がありました。スタッフの女性から「日本の霊柩車が大活躍してるんですよ。外に置いてありますので、見られませんか?」と言われ、黄金の霊柩車を見に行ったときです。その車には、なんと「紫雲閣」のプレートが残されていました。ミャンマーにはバスをはじめとして日本の中古車がたくさん走っていますが、それらの車には「○○交通」といったプレートがそのまま残されています。そして、わが社がかつて使用していた車が、このミャンマーNPO団体で活躍していたのです。
有名なシュエダゴン・パゴダの「黄金の洪水」を見てもわかるように、ミャンマーの人は何よりも黄金色を好みます。なぜなら、それは仏教における天上界の色だからです。そして、はるばる日本の「紫雲閣」から海を越えてやって来た霊柩車も光輝く黄金色でした。



スタッフの女性の説明によれば、「この霊柩車が、パゴダと同じ黄金だということで、大変な人気です。ミャンマーの人々は、この車で送られれば幸せな来世が迎えられると信じています」と言われました。わたしは、それを聞いて涙が出るほど感動しました。
黄金の霊柩車は、いわゆる「黄金龍」と呼ばれるタイプです。この日見た車は、車上にあるはずの龍の彫刻はありませんでしたが、かつては黄金の龍が日本で駆けめぐっていたのです。しかし、時代の流れとともに黄金龍はすっかり姿を消してしまいました。
ところが、「アジア最後のフロンティア」とされるミャンマーの人々の最期のセレモニーに彩りを添えていたとは・・・それにしても、なんという縁でしょうか! 
わたしは、わが社と世界平和パゴダとの不思議な縁の謎が解けたように思いました。


心を込めて社長訓示を行いました



ミャンマー仏教は、上座仏教です。日本の大乗仏教と違って、葬儀を重視しません。しかし、人間は「葬儀するヒト」としてのホモ・フューネラルです。葬儀という営みは、宗教の違いを超越した行為だと思います。愛する人が亡くなったら弔いたいというのは、人間の自然な感情ではないでしょうか。上座仏教の国であるミャンマーで、あらゆる人々に平等に葬儀を行う団体が注目を浴びているのは、その証拠でしょう。


天下布礼」はグローバル&ユニバーサル!



わたしは、FFSSに互助会の原点を見ました。チョートゥー代表には、「宇宙葬のカリスマ」ことエリジウム・スペース社のトーマス・シベCEOとの出会いに近い「宿命」のような深い縁(えにし)を感じます。トーマスCEOと会えたように、わたしはいつか必ずチョートゥー代表に会う気がしてなりません。そこから新しいドラマが始まる予感がします。いまや、「天下布礼」はグローバル(地球スケール)、いやユニバーサル(宇宙スケール)なのです。


しあはせの年を迎へてさらに行く あと二年(ふたとし)の知命への道



わが社の志は、「サンレー」という社名にすべて込められています。
無縁社会や老人漂流社会といった闇の世を、太陽の光で明るく照らしたい。太陽の徳の如く、あらゆる人々、いや人をも超えた万物を慈しみたい。そして、「天下布礼」の精神のもと、「冠婚葬祭を中心としたホスピタリティ・サービスによって、さらに良い人間関係づくりのお手伝いをしよう!」と呼びかけました。
48周年の「48」は「しあわせ」に通じます。そして、あと2年で50周年を迎えます。『論語』には「五十にして天命を知る」という言葉が出てきます。わたしは、最後に「しあはせの年を迎へてさらに行く あと二年(ふたとし)の知命への道」という道歌を披露しました。


心を込めて表彰状と記念品をお渡ししました



「社長訓示」の後は、各種表彰が行われました。
表彰されたみなさん、おめでとうございます! 
本当に、人こそが、わが社の宝です。
それから、全員で手をつないでのサンレー名物「和のこえ」です。
松田取締役が音頭を取り、「がんばろー」を3回連呼し、記念式典がめでたく終了。
松柏園ホテルの写場へと移動し、役員一同と表彰者のみなさんで記念撮影しました。
そして、表彰者のみなさんと一緒の記念昼食会が行われました。


最初に簡単に挨拶しました

橋本常務の音頭でカンパイ!



最初にわたしが簡単に挨拶して、橋本常務が乾杯の音頭を取りました。
和気あいあいとした雰囲気の中、松柏園の美味しい料理を食べながら、話も弾みました。
最後は中野正行取締役によるサンレー名物「末広がりの五本締め」で締めくくりました。



今年も、無事に創立記念日を迎えられて、本当に嬉しいです。
48年前、つまり1966年の11月18日、株式会社サンレーは誕生しました。
1966年といえば、イギリスで音楽革命を起こしたビートルズが来日して、空前の大ブームを巻き起こしました。彼らの影響で日本には多くのグループサウンズが生まれ、若者たちの間では長髪が流行しました。アメリカでは大衆文化の革命を起こしたウォルト・ディズニーが亡くなり、中国では毛沢東がその名も「文化大革命」を起こしました。そんな年に誕生したサンレーは、日本で「冠婚葬祭の文化大革命」をめざして歩んできたのかもしれません。



わたしも社長に就任してから丸13年が経ち、現在は14年目に入っています。
本当に紆余曲折ありましたが、ここまで来れたのは、互助会の会員様、お客様、そして社員のみなさんのおかげです。心から「ありがとうございます」と言いたいところですが、今日は、あえて社員のみなさんに「おめでとうございます」と言わせていただきました。なぜなら、この祝うべき48周年の主役とは社員のみなさんだからです。ですから、正月の挨拶のようにお互いに「創立48周年、おめでとうございます」と言い合ったのです。


全社員に配られた記念品



輝ける50周年に向かって、あと2年。さらに前進していきたいと願っています。
なお、創立記念日の恒例になっていますが、今年も北九州市内の養護施設や幼稚園などを訪問し、紅白饅頭、お菓子、文房具などをプレゼントさせていただきました。
午後から、わたしは北九州空港へ向かい、東京へ飛び立ちました。
明日から、全互協や全互連の理事会ラッシュなのです。
風邪を引かないように気を張って、頑張ります!



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2014年11月18日 佐久間庸和