経理責任者会議

9月5日、小倉ロータリークラブの例会が終了すると、わたしはリーガロイヤルホテル小倉からサンレー本社へと急ぎました。今日は、サンレーグループ全国経理責任者会議が開催されるのです。会社に到着すると、そのまま会議室に向かい、恒例の社長訓話をしました。


全国経理責任者会議のようす



最初に、わたしは昨日の行橋西紫雲閣の起工式のようすについて触れ、続いて「終戦の日」や沖縄の話などをしました。それから、ブログ「人間尊重を求めて」で紹介した「毎日新聞」9月5日朝刊のコピーを参加者全員に配り、佐久間会長の『『人間尊重の「かたち」』(PHP研究所)について語りました。タイトルにある「人間尊重」は、出光興産の創業者である出光佐三翁の哲学を象徴する言葉です。佐久間会長が若い頃、地元・北九州からスタートして大実業家となった佐三翁を深く尊敬しており、その思想を象徴する「人間尊重」という語を自社の経営理念としたのです。以後、「人間尊重」はわが社のミッションとなっています。サブタイトルは、「礼の実践50年」。これは、出光佐三著『人間尊重五十年』(春秋社)を連想させ、そのまま佐三翁へのオマージュとなっています。


「人間尊重」について話しました



「人間尊重」といえば、2500年前の古代中国で孔子が説いた「礼」に源流があります。そう、「人間尊重」とは「礼」の別名なのです。そこに佐久間会長は気づいたのです。かつて、陽明学者の安岡正篤は、「本当の人間尊重は礼をすることだ」と喝破しました。また、「経営の神様」といわれた松下幸之助も、何より礼を重んじ、「礼とは『人の道』である」と述べています。さらに「人間尊重」の思想は、「人が主役」と唱えたドラッカーの経営思想にも通じます。



佐久間会長が座の銘とし、わが社のミッションとした「人間尊重」は、孔子から出光佐三まで多くの偉大な先人たちのメッセージが込められているのです。  冠婚葬祭業を生業とするわが社においては「礼とは人間尊重である」という考え方を全社員で共有することを目指しています。出光佐三翁は「石油業は、人間尊重の実体をあらわすための手段にすぎず」と言いましたが、わたしは「冠婚葬祭業とは、人間尊重の実体をあらわすことそのものである」と言いたいです。それぐらい、わたしは冠婚葬祭という仕事に誇りを持っています。


冠婚葬祭の意義について語りました



それから、ブログ「人類の未来を育む礎に」で紹介した「日本経済新聞」のインタビュー記事のコピーを配って、冠婚葬祭の意義を語りました。わが社の社名である「サンレー」には「産霊(むすび)」という意味があります。神道の言葉ですが、新郎新婦という二つの「いのち」の結びつきによって、子どもという新しい「いのち」を産むということですね。
「むすび」によって生まれるものこそ、「むすこ」であり、「むすめ」です。
結婚式の存在によって、人類は綿々と続いてきたと言ってよいでしょう。
また、葬儀ほど大切なものはない。わたしは、人間とは儀式をする存在「ホモ・フューネラル(弔う人)である」と定義しました。つまり、愛する人が急にいなくなってしまったら、その悲しみから自殺の連鎖が起きる。だからこそ、人類は葬儀をはじめたわけです。葬儀は人類が長い年月をかけて大切に守ってきた精神文化。わたしは、「葬儀がなければ人類は滅亡していたかもしれない」と本気で考えています。


「終活」について話しました



最後に、脱稿したばかりの『決定版 終活入門』(実業之日本社、9月30日発売予定)の内容を紹介しました。いま、世の中は大変な「終活ブーム」です。多数の犠牲者を出した東日本大震災の後、老若男女を問わず、「生が永遠ではないこと」そして必ず訪れる「人生の終焉」というものを考える機会が増えたことが原因とされます。
多くの高齢者の方々が、生前から葬儀や墓の準備をされています。
また、「終活」をテーマにしたセミナーやシンポジウムも花ざかりで、わたしも何度も出演させていただきました。さらに、さまざまな雑誌が「終活」を特集しています。ついには日本初の終活専門誌「ソナエ」(産経新聞出版社)まで発刊され、多くの読者を得ています。わたしも同誌で「一条真也の老福論」というエッセイを連載することになりました。


団塊の世代」について語る



このようなブームの中で、気になることもあります。それは、「終活」という言葉に違和感を抱いている方が多いことです。特に「終」の字が気に入らないという方に何人も会いました。
もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされています。ならば、わたしも「終末」という言葉には違和感を覚えてしまいます。死は終わりなどではなく、「命には続きがある」と信じているからです。そこで、わたしは「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しました。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。よく考えれば、「就活」も「婚活」も広い意味での「修活」ではないでしょうか。学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活なのです。そして、人生の集大成としての「修生活動」があります。
これから、いわゆる「団塊の世代」が修生活動をしなければなりません。



かつての日本は、たしかに美しい国でした。しかし、いまの日本人は「礼節」という美徳を置き去りし、人間の尊厳や栄辱の何たるかも忘れているように思えてなりません。
それは、戦後の日本人が「修業」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」という覚悟を忘れてしまったからではないでしょうか。老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。冠婚葬祭互助会の会員様の多くは高齢者の方々です。
ならば、互助会とは巨大な「修活クラブ」であると言えるかもしれません。
ぜひ、多くの会員様が人生を修められるお手伝いをしたいものです。


「お金の備えは年金が基本」と訴えました



特に、『決定版 終活入門』の第4章「おカネやモノの遺し方――最期をしめくくる」の内容を詳しく話しました。まずは、「自分らしく仕舞う」ための制度として「介護保険制度」と「財産管理等の委任契約」を説明。それから「お金の備えは年金が基本」という話をしました。
いつも、わたしは会議などで金の話をほとんどしません。
それが、この日は金の話ばかりしたので、みんなギョッとしていました。(笑)
もちろん、お金があれば幸せというわけではありません。
でも、心ゆたかな「修活」のためには、やはりお金は必要です。


「老後資金管理の5つのルール」を紹介



さらには、「老後資金管理の5つのルール」を説明しました。以下の通りです。
1.働けるうちは働く
2.運用はリスクを避ける
3.無駄な出費を抑える
4.金融資金の口座は絞り込んでいく
5.施設への入居費は別枠にする


相続の「遺留分放棄」について説明する



それから、「自動車と生命保険を見直す」「定年後破産の引き金は家のローン」「家に関する終活ポイント」「遺言書の基礎知識」などを紹介してから、「成年後見制度」について簡単に説明しました。そして、渡部昇一先生から教えていただいた相続の「遺留分放棄」について説明しました。最後はお金の話がたくさん出てきて、経理責任者会議らしい話題でした。(笑)



社長訓話の後は、松柏園ホテルに場所を移し、懇親会が開かれました。
1時間喋りっぱなしで乾いた喉に冷えたビールが心地良かったです。ふだん真面目に会社の経理を担当してくれるみなさんと一緒に大いに飲み、大いに語り合いました。翌朝からは東京に出張。上智大学で開催される「スピリチュアルケア学会」の学術大会に参加します。




*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年9月6日 佐久間庸和