能登の思い出

30日の朝、「ホテルクラウンプラザANA金沢」の部屋で目覚めました。
朝食を取ってチェックアウトしたとき、ロビーのディスプレイに目を引きつけられました。
それは、石川県の能登半島各地で行われる「能登キリコ祭り」のキリコでした。


朝のホテルのロビーにて

見事なキリコが飾られていました



キリコとは高さ数メートルの巨大な灯籠で、「奉燈」とも呼ばれます。
能登キリコ祭り」は主として7月から10月にかけて夏祭り・秋祭りとして行われて、疫病退散を願って始まったとされるものが多いそうです。その祭りで使われる巨大なキリコを目で楽しんだ後、わたしは迎えの車に乗り込んで、一路、能登半島へと向かいました。



能登半島は、北陸地方の中央付近から日本海へ北に向けて突き出した半島です。
日本における日本海側海岸線で最も突出面積が大きい半島でもあります。
ほぼ全域が石川県に属しますが、南東の一部は富山県に属します。東側の海岸線は途中から東に折れて、富山湾を形成しています。「能登はやさしや土までも」との言葉もあるように、人はもとより土までも優しい(柔らかい意)と言われています。
わたしは、まず6月13日に移転オープンしたばかりの「七尾紫雲閣」を訪れました。わたしが到着すると、柳生さんというベテラン社員が駆け寄ってきて、「社長、このたびは立派な城を作っていただき、誠にありがとうございました!」と堂々と口上を述べたので、驚きました。まるで戦国時代へタイムスリップしたようでした。



それから、ブライダル衣装店「アフロディーテ七尾」を訪れました。マリエールオークパイン金沢の井口支配人も来ており、3人の女性スタッフを紹介してくれました。みんな気の良い人ばかりでした。なんでも、能登の女性はみんな大変な働き者だそうです。


七尾城史資料館の前で

七尾城史資料館の内部のようす



それから、わたしは東常務と一緒に伊藤支配人の運転する車に乗って、「七尾城史資料館」に向かいました。ここは七尾城跡への登り口にある、中世の城をしのばせるモダンな建築様式を取り入れた建物です。館内には、出土した水晶製五輪塔をはじめ、城主愛刀・唐草模様の鎧などの武器武具や城主直筆の書輸などが展示されており、室町時代から戦国時代に至る武家と庶民の生活の一端を知ることができます。


懐古館の前で

懐古館の内部のようす



七尾城史資料館の外に出ると、美しい庭がありました。
そして、「懐古館」という古い建築物が隣接していました。
180年前の建物で、「飯田家」という庄屋の住宅でした。
この建物は、国登録有形文化財に指定されています。


「九月十三夜」作詞の図の前で



懐古館では、「上杉謙信公、本丸に座して『九月十三夜』作詩の図」というものが展示されており、大変感激しました。わたしは謙信公をこよなく尊敬しており、「九月十三夜陣中作」の漢詩も愛しているからです。じつは、謙信公ゆかりの展示物がたくさんあるかと楽しみにしていたのですが、これだけでした。どうも、七尾の人たちにとっては「あくまで畠山氏こそが城主であり、上杉謙信は七尾城を攻めた敵である」という意識が強いようです。


ざるラーメン」が絶品でした

8番らーめん 来まっしマップ



それから昼食の時間をずいぶん過ぎていることに気づき、わたしたちは北陸名物の「8番らーめん」に入りました。国道8号線上にずっと店舗展開しているラーメン店チェーンで、北陸人なら知らない者はいません。わたしたちは、「ざるラーメン&炒飯」のセットを注文しました。1人分850円でしたが、初めて食べた「ざるラーメン」が旨かったです!


コスモアイル羽咋の前で



食事を終えたわたしたちは、七尾から羽咋(はくい)に車を走らせました。久々に宇宙科学博物館の「コスモアイル羽咋」を訪れるためです。「コスモアイル」というのは「宇宙の出島」という意味だとか。ここを訪れるのは2回目ですが、わが社はいま「宇宙葬プロジェクト」に力を入れているので、その勉強の意味もあって東孝則常務とともに訪れたのです。


宇宙科学展示室のようす



2階に到着したわたしたちは、宇宙科学展示室へ向かいました。
ここには、「人類と宇宙」「SETI(地球外知的生命探査)」、「UFO現象」を テーマに、さまざまな展示物の数々が所狭しと並べられています。


展示室には、UFO写真がいっぱい!

ロズウェル事件のエイリアンの遺体と



宇宙科学展示室には大量のUFOの写真が展示され、独特のムードを醸し出しています。
また、よく知られているUFO事件史も紹介されていました。
圧巻は、ロズウェル事件のエイリアンの遺体が展示されていること。
これには、ある意味で、感動しましたね! ここまでやってくれるとは!


宇宙飛行士に変身しました



博物館の外に出ると、穴から顔を出して宇宙飛行士になれるボードがありました。わたしは、この手のモノを絶対に見過ごしません。迷わずに伊藤支配人と一緒に宇宙飛行士に変身しました。いつか、エリジウム・スペース社のロケットに乗り、本当に宇宙に行きたいです。


Noto, an unexplored corner of Japan.

Noto, an unexplored corner of Japan.

かつて、『NOTO―能登・人に知られぬ日本の辺境』パーシヴァル ローエル著、宮崎正明訳(十月社)という本を読みました。原題は『Noto,an unexplored corner of Japan』です。著者のローエルは、1855年にアメリカのボストンで生まれた天文学者です。大富豪の子として生まれた彼は、私財を投じてローウェル天文台を建設、火星の研究に打ち込みました。『Mars』という著書を発表して火星人の存在を唱えたことでも知られますが、彼の最大の業績は「惑星X」として冥王星の存在を予知したことでした。


そんな偉大な天文学者ローエルは、じつは日本の研究家でもありました。
4回来日して、日本に関する4冊の著作をニューヨークで出版しています。
この『NOTO』は、ローエルが能登半島の形に魅せられて上野から往復旅行をした時の紀行文です。明治中期、日本の地方に生きる人々の考え方や暮らしぶりを、ローエルは真摯かつ洒脱な視点で綴っています。
それにしても、「人に知られぬ日本の辺境」とまで呼んだ能登にUFOとエイリアンを研究する宇宙博物館ができたことを知ったら、あの世でローエルも仰天することでしょう。


プロペラ機で九州へ・・・・・・



コスモアイル羽咋を後にしたわたしたちは、今度は小松空港に向かいました。空港に着くと、見送る東常務が心なしか寂しそうでした。一緒に北九州に帰りたかったのでしょうか。わたしは小さなプロペラ機に乗って福岡空港まで飛びました。今回は東京から続いて4泊の出張でした。ちょっと疲れましたが、よりハード・スケジュールの9月が目前に迫っています。
『決定版 終活入門』や『永遠の知的生活』の校正をし、『永遠葬』も書かなければ!
さらに、社員旅行で長崎の軍艦島に行き、全互連の仲間とはニューヨークに行きます。
もう、こうなったら気合で乗り切るしかありません。死して屍拾うもの無し!
なお、それぞれの訪問場所についてさらに詳しく知りたい方は、ブログ「七尾新施設訪問」ブログ「七尾城史資料館・懐古館」ブログ「コスモアイル羽咋」をお読み下さい。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年8月31日 佐久間庸和