我らの生業

11日の金曜日、小倉ロータリークラブの例会に参加しました。ブログ「新年度最初の例会」で紹介した4日の例会以来で、新年度になってから2回目のクラブ例会への参加です。


「我等の生業」の歌詞



いつものように、例会の冒頭では瑞松寺の末廣石光住職がソングリーダーとして、歌を合唱しました。この日は「我等の生業」という歌を歌いました。以下のような歌詞です。



我等の生業さまざまなれど
集いて図る心は一つ
求るところは平和親睦
力むるところは向上奉仕
おうロータリアン
我等の集い



「生業」は「なりわい」、「平和親睦」は「やわらぎむつみ」と読みます。
わたしは、久々にこの歌を歌いましたが「とても良い歌詞だな」とつくづく思いました。
ロータリークラブには、さまざまな職業の方々が集まっていますが、いずれも自分の仕事を通じて豊かな社会づくりに奉仕するという「職業奉仕」の志を持っています。今年度の会長になられた小島庸匡会長は公認会計士さんですし、わたしは冠婚葬祭業者です。
他にも、クラブの中にはあらゆる職業の方々がいます。



わたしは「生業」という言葉を聞くたびに、「天職」という言葉を連想します。
ベルーフ(Beruf)という言葉があります。キリスト教宗教改革で知られるマルティン・ルターおよびルター聖書の校訂者たちが用いた言葉で、神から与えられた「使命」という意味があります。ここからプロテスタントのあいだには、自分が従事する世俗的な職務を、神に与えられた「天職」として意識する生活態度が生まれました。



この天職理念は、神の絶対的権威を極限まで強調し、「神にのみ栄光を」と唱えるカルヴァンによって、いっそう強められてゆきます。職業労働によってのみ、悪魔の誘惑は退けられ、自分は救いに選ばれているとの確信が与えられるというのです。こうして、ルターが説いたような、自分の罪を悔い改めてひたすら神を信仰する謙虚な罪人つまり義人の代わりに、鋼鉄のような信念を堅持するピューリタン商人、自己確信にみちみちた数々の「聖徒」が、経済の世界にも続々と生まれ育って、資本主義の英雄時代が到来します。



マックス・ヴェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』には、このあたりの流れが生き生きと描かれています。アメリカで生まれたロータリークラブの職業思想は、当然ながらこのプロテスタンティズムの職業倫理の影響を受けていると言えるでしょう。


ヴェーバーが近代資本主義の推進力としたプロテスタンティズムの職業倫理と、ほぼ同じ考えの人物が日本にいました。安土桃山時代中期の禅僧・鈴木正三です。
正三の主著『萬民徳用』には、「何の事業も皆仏行なり」という思想で、出家や厳しい修行をしなくとも身分の上下別なくそれぞれの日々の仕事に精励することこそ仏の道であると述べられています。また、商売には物を売り買いし流通させる貴重な役割があるといい、商人の第一の心得はまずは利益をあげることであるといいます。さらに、商売とはその時々の相手ではなく、天に象徴されるように社会に向かって行うものであり、正直と利他の精神は商売に限らず人間関係の原則だと説きました。



正三没後30年ほど経って、石門心学を開いた石田梅岩が生まれました。正三は仏行という観点から商人の意義を認めましたが、梅岩は自らの体験を踏まえ、さらに積極的に「商人の売買するは天下の相(たすけ)なり。その余りあるものを以て、その不足(たらざる)ものに易(かえ)て、互いに通用するを以て本とする」と商人の職分を讃えました。そして、「商人には崇高な職責があり、商人の道がある。だからこそ、家業に精を出し、正直でなければならないし、不正な利益は許されない」という論旨で職業倫理を唱えています。日本にも、大いなる天職思想があったのです。わたしたちは、強い誇りを持って自分の職務に励まなければなりません。



この日は2人の新会員が入会され、紹介されました。
1人は、合馬内科クリニックの合馬副院長です。昭和47年生まれとのことで、まだ41歳の若さですが、わたしの高校の後輩です。もっともお父様で北九州医師会の会長も務めておられた合馬院長はわたしの大先輩ですが・・・・・・。
もう1人は、電通九州の山本・北九州支社長です。福岡生まれで、勤務もずっと福岡だったそうですが、北九州に憧れを抱かれていたそうです。年齢はわたしと同じくらいでしょうか?



いずれにしても強力な新メンバーが入会してくれました。
お二人は、職業奉仕委員会の松本委員長から、ロータリアンとしての心構えと記念品を与えられていました。ちなみに、合馬会員の趣味は将棋とカラオケ。山本会員の趣味はゴルフとカラオケだそうです。早くも、お二人と一緒にカラオケに行くのが楽しみです!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年7月12日 佐久間庸和