熊本・湯布院の旅

3日に開催された全互連第56回総会で新会長に就任した翌日、わたしは二日酔いのままオプションの観光コースに参加しました。菊南温泉ユウベルホテルを8時に出発して、まずは「日本三名城」の1つである熊本城を訪れました。


早朝の菊南温泉のようす

美味しい朝食をいただきました



「日本三名城」には諸説がありますが、秀吉や家康といった天下人による「天下普請」でない「熊本城」こそ、名城中の名城と評する歴史ファンも多いようです。この城は、「名将」として知られた戦国武将・加藤清正が幾多の実戦の経験を生かし、慶長6年(1601年)から7年の歳月と、心血を注いで築城したものです。


熊本城を背景に

じつに雄々しい城です



明治に入って熊本城が天下の名城として面目躍如となる戦争が起こりました。西郷隆盛による西南戦争です。この戦争では政府軍が熊本城で52日間に及ぶ籠城で西郷軍の攻城を退け、難攻不落の名城であることが実証されました。西郷隆盛が終焉の地である鹿児島の城山で「わしは官軍に負けたのではない清正公に負けたのだ」と独白したと伝えられています。


火口で髪が逆立つ!

危うく火口に落ちそうになりました



それから、わたしたちは阿蘇山へ向かいました。
阿蘇は典型的な二重式の火山として知られています。
阿蘇山」といえば阿蘇五岳を中心にした中央部の山々を呼ぶことが多いのですが、外輪山や火口原をも含めた通称でもあります。外輪山は南北25km、東西18km、周囲128kmもあり、まさに世界最大級の火山です。火口原には約5万人が生活しており、田畑が開けています。わたしたちは、阿蘇の中岳火口を見学しました。かなりの暴風雨で、髪が逆立ちました。また、強風で体が吹き飛ばされ、危うく火口に落ちそうになりました。


昼食会場にて



阿蘇を訪れた後は、「坂本」という店で昼食を取りました。
とても立派な大広間で、緑ゆたかな庭も見事でした。
名物の高菜めしが美味しかったです。
また、昼間から飲むビールの旨いこと!


雨の湯布院を歩く

雨の金鱗湖にて



昼食を取った後は、大分県の湯布院に向かいました。
湯布院は「一度は行ってみたい観光地」として、女性を中心に常に上位にランキングしている温泉リゾートです。源泉数が全国第2位であり、情緒豊かな温泉旅館が点在しています。心づくしの「おもてなし」を体感できる上質な温泉宿が多いことでも有名です。
以前、わが社も湯布院のホテルを経営しており、馴染みの深い土地ですが、じつに久々の訪問です。ここで見学してから、宿である由布院ユウベルホテルに到着しました。


懇親会の冒頭、会長として挨拶しました



18時15分からは懇親会が開催され、そこでゴルフ組と合流。
前夜に引き続いて、全互連の仲間との懇親を深めました。
懇親会の冒頭に、会長であるわたしが挨拶しました。わたしは「会長になってから一夜が明けても、まだ夢を見ているようです。新道前会長から、『会長になったら挨拶が増えますよ』と言われましたが、本当にその通りですね。これでは挨拶の本を買って読まなければいけないと思っています」と述べました。すると、「自分で書け!」という野次が飛びました。続いて、その野次の主である圡田副会長による乾杯の発声で、懇親会がスタートしました。



わたしはまず、すべてのテーブルを回って、みなさんにお酌をさせていただきました。「よろしくお願いいたします」と言いながら、お酒をお注ぎすると、みなさんから「本当に、お父さんによく似ているね」とか「昨日の挨拶で言われた『全互連は冠婚葬祭互助会の保守本流です』は良かったですね。ジーンとしました」などと言われ、感激しました。また、わたしのブログを読まれている方が多いことに驚きました。やはり、嬉しいものですね。


全互連バンザ〜イ!!



それから、自分の席に戻り、神田顧問とお話しさせていただきました。神田顧問は最近、ブログ『0葬』で紹介した本を読まれたそうで、その感想や今後の冠婚葬祭の展望などについて意見を交換させていただきました。わたしにとって、非常に有意義な時間となりました。最後は上田副会長の音頭で万歳三唱が行われました。大いに盛り上がった懇親会となりました。



その後は、別室で二次会が開催されました。
カラオケも用意されており、わたしは最初は矢沢永吉の「時間よ止まれ」を歌おうかと思いましたが、連日ヤザワというのもいかがなものかと思い、小林旭の「お世話になったあの人へ」を歌いました。3番まであったので、1番は上田副会長、2番は神田顧問に捧げさせていただきました。そして3番はこれからお世話になる小泉専務理事に捧げました。



夜も更けて宴は大いに盛り上がり、みなさん2曲目を歌う方が増えてきました。
業界髄一の「カラオケ好き」として知られる松嶌社長などは何曲も歌っていました。
最後に、わたしは桑田佳祐の「祭りのあと」を歌いました。
気づくと、いつの間にか松嶌社長が横に来て一緒に歌っていました。(笑)
というわけで、わたしにとって生涯忘れえぬ「祭り」は終わりました。
お世話になったみなさまに心より御礼を申し上げます。なお、それぞれの訪問場所について、詳しくはブログ「熊本城」ブログ「阿蘇山」ブログ「湯布院」をお読み下さい。


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年6月5日 佐久間庸和