エンディング・ノート

今日の「毎日新聞」朝刊に第21回目の「北九州発 ハートフル通信」が掲載されました。
今回のタイトルは「エンディング・ノート」です。



毎日新聞」5月16日朝刊



先日、「終活〜今を生きる」という講演を行いました。劇団青春座の主催でした。同劇団は「エンディング・ノート」という演劇を5月17日、18日の2日間、北九州芸術劇場で上演します。そのコラボ企画として、わたしの講演会が開催されたというわけです。いま話題の「終活」がテーマということで、ゴールデンウィークの最中ながら、会場は超満員になりました。



わたしは、日ごろから考えていることをお話ししました。まず、自分の死生観から述べました。わたしは人の死を「不幸」などと表現しているうちは、日本人は幸福になれないと思っています。わたしたちは、みな、必ず死にます。死なない人間はいません。いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです。その未来が「不幸」であるということは、最初から負け戦に出ていくようなものです。



わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。
なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来必ず不幸になるからです。死はけっして不幸な出来事ではなく、人生を卒業すること。そして、葬儀は人生の卒業式だと思っています。



また、演劇のタイトルにもなっているエンディング・ノートについても考えを述べました。高齢化社会において必要性を増しているエンディング・ノートの役割とは何か。まず、「残された人たちを迷わせないため」という大きな役割があります。どんな葬儀や墓を希望するかといった問題はもちろん、病気の告知や延命治療などのデリケートな問題も書き込めます。本人も迷うでしょうが、そばにいる家族や知人はもっと迷い、悩んでいます。そんなときにエンディング・ノートに本人の意志が書かれていれば、どれだけ救われるでしょうか。



またエンディング・ノートには、もう1つ大きな役割があります。 それは、自分が生きてきた道を振り返る作業でもあること。最近は自分史を残すことが流行しているようですが、エンディング・ノートはその機能も果たしてくれます。気に入った写真を残す、楽しかった旅の思い出を書く、そんなことで十分なのです。



そして最後に、愛する人へのメッセージを書き添えます。残された人たちは、あなたのその言葉できっと救われ、あなたを失った悲しみにも耐えていけるのではないでしょうか。
わたしは5年前に『思い出ノート』(現代書林)という、自分史ノートの要素をミックスしたエンディング・ノートを刊行しました。予想した以上に好評で、版を重ねています。


思い出ノート ([バラエティ])

思い出ノート ([バラエティ])

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年5月16日 佐久間庸和