松下幸之助(6)


短所が幸いして成功できた




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助の言葉です。
彼は、以下のような言葉を残しています。
「長所や短所というものは絶対的なものではない。学問がある、また身体も頑健である、これは常識的に考えれば長所と考えられる。しかし、それを過信して失敗すれば、結果として短所となってします。学問がない、体が弱い、これも常識的には短所と考えられている。けれども、私の場合にはそのことが幸いして、成功できた。とすれば、それはむしろ長所であったと言えなくもない。悩みに負けてしまわず、自分なりの新しい見方、解釈を見出して、その悩みを乗り越えていくことが大切である」


道をひらく

道をひらく


時代の激動期に企業や組織を対応させていく場合、その改善・改革に3つの型があります。すなわち、古い経営方法の破壊、新しい経営方法の創造、すぐれた経営方法の維持の3つです。これらの組み合わせで、そのときどきの社会のニーズに合った企業運営が行われます。そして、戦国時代の武将の組織や管理方法をこれに当てはめてみると、古い経営方法の破壊は織田信長型、新しい経営方法の創造は豊臣秀吉型、すぐれた経営方法の維持は徳川家康型となるでしょう。



もちろん3人はそれぞれ、3つのいずれの方法も展開した名リーダーですが、そのなかでも際立っていたのが、信長は破壊、秀吉は建設、家康は維持管理の部分です。このなかで最も重要なのは、やはり新事業の建設です。秀吉は、この建設の主力を現場の人々に置きました。そのために現場の人間のやる気を高めることに努力を惜しみませんでした。特に「気配り」には抜群のエネルギーを注ぎ、大きな効果をあげたのです。



秀吉自身が貧しい農家の出身であり、子どものときから大変な苦労をしました。完全に社会的な弱者でした。自分が苦労した弱者でしたから、弱者の苦労がよくわかるのです。どこを押せば他人が痛がり、あるいは喜ぶかを熟知した稀代の「人間通」でした。その人間通は、司馬遼太郎をして「人間界の奇跡」と言わしめた成功者となったのでした。信長に小便までかけられた一介の草履取りが、ついには天下人にまで上りつめたのです。



秀吉と並ぶ「人間界の奇跡」こそ、一代で世界の松下電器をつくり上げた松下幸之助です。
世界的な企業の創業者は他にもいますが、彼はとにかく度外れた社会的弱者でした。それまでは素封家だったが、小学4年生のときに父親が米相場に手を出して失敗、10人いた家族は離散し、極貧ゆえに次々に死んでゆきました。とにかく貧乏で、病気がちで、小学校さえ中退しました。この「金ない、健康にめぐまれない、学歴ない」の三ない人間が巨大な成功を収めることができたのは、自分の「弱さからの出発」という境遇をはっきりと見つめ、容認したからではないでしょうか。



貧乏なゆえに商売に励んだ。体が弱いゆえに世界的にも早く事業部制を導入した。学歴がないゆえに誰にでも何でも尋ねて衆知を集めた。彼は、自分の弱さを認識し、その弱さに徹したところから近代日本における最大の成功者となったのです。
「強みを生かせ」と強調したのはドラッカーですが、松下幸之助こそは「弱みを生かせ」というテーマをを自身に銘じ、それを見事に果たしたのです。
偉大なり、松下幸之助。彼こそは、弱みを生かしに生かした人でした。
なお、今回のエピソードは、『孔子とドラッカー新装版』(三五館)にも登場します。


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年4月23日 佐久間庸和