鎌田東二(3)


人に笑われるリッパなニンゲンになります




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二氏の言葉です。
本日、3月20日は、鎌田氏の63回目の誕生日です。おめでとうございます!
日本を代表する宗教哲学者である鎌田氏とは毎月、満月のたびに「シンとトニーのムーンサルトレター」というWeb書簡を交換しています。その内容を掲載した共著『満月交感 ムーンサルトレター』上下巻(水曜社)も上梓しています。「シンとトニーのムーンサルトレター」の第18信で、鎌田氏は御母堂が亡くなられたことについて書かれ、「ぼくは、ひとにわらわれる、りっぱなにんげんになりたい」という心に沁みる言葉を綴って下さいました。


満月交感 ムーンサルトレター 上

満月交感 ムーンサルトレター 上

満月交感 ムーンサルトレター 下

満月交感 ムーンサルトレター 下

鎌田氏の御母堂は大正14年(1925年)1月のお生まれで、平成19年(2007年)2月16日にご逝去されました。享年82歳でした。鎌田氏は、徳島の実家に帰って御母堂と最後の別れをしたことについて、御母堂ご逝去の直後に以下のような文章を公開しておられます。
「母とわたしとの最後のやり取りは、『いよいよじゃ』、『ありがとう』でした。もう二度と会えないことがわかっているわたしが、採点などの仕事があるので大宮に帰ると言うと、彼女はわたしに、『いよいよじゃ』と言いました。最初それが分からず、聞き返すと、再び『いよいよじゃ!』とはっきり繰り返しました。しかし母に、『いよいよじゃ』と言われて、わたしは言葉を失いました。なぜなら、母には癌の告知をしていませんでしたので。でも彼女は、死期をはっきりと悟っていました。おそらく、動物的な勘でそれがわかっていたのでしょう。彼女は動物的な勘の鋭い人でしたから。」



鎌田氏は、また次のようにも書かれています。
「別れの最期の時に、母に『ありがとう』と言えて本当によかったと思っています。2月18日に行なった告別式ではわたしが親族代表で挨拶しましたが、途中言葉に詰まり、泣いてしまいました。母の生い立ちを話し、その苦労などに触れた後、『母には百万遍「ありがとう」と言っても言い尽くせないくらい感謝の気持ちを持っています。おかあさん、ありがとう!』と言ったところで、胸が詰まり、目頭が熱くなり、絶句してしまい、集まって来てくださった弔問の皆様への謝辞も不十分なまま終わってしまいました。」
御母堂のご逝去から1ヶ月ほどは、悲しみよりも、感謝の気持ちがこんこんと湧いてきて、思わず涙ぐむことも多く、こんなに深い感謝の思いが湧き出てくるとは思わなかったとか。



そして、鎌田氏は御母堂への感謝の言葉を次のようにしたためられました。
「おかあさん、ぼくをうんでくれてありがとう。
そして、このきかんきなおとこのこをそっとみまもってくれてありがとう。
だいがくせいのころ、あなたが、『ひとにわらわれないりっぱなにんげんになってください』とてがみをよこしたとき、こころにぐさりときました。
でもぼくは、あなたのかんがえとはちがうかんがえをもっていました。
『ぼくは、ひとにわらわれる、りっぱなにんげんになりたい!』
せけんていやじょうしきではなく、たましいのほっするままにいきたい、それがうまれてきてからずっとぼくのなかでなりひびいていたこえです。
おかあさん、そんなぼくをしんぱいしながらそだててくれてありがとう。
どんなばかなことをしても、あなたがおこらなかったこと、わすれません。
いつも、てをあわしています。   1・23 かまたとうじ」



大学進学で地元を離れた鎌田氏に、御母堂は毎月のように段ボール箱にいろいろなものを詰めて送ってくださったそうです。その中には、ときにはお小遣いも忍ばせてあったとか。ある時、お小遣いの入っている金封に手紙が添えられていました。
その最後の一行には、次のように書かれていたそうです。
「人に笑われない立派な人間になってください」。
それが御母堂の精一杯の諌めの言葉であったと鎌田氏は述懐されています。御母堂にとっては「人に笑われない」ということが非常に大切だったのです。早くに伴侶を亡くされ、家長として近所や親戚づきあいなど、世間体を気にせざるを得なかったようです。



鎌田氏は、御母堂の心が痛いほど理解出来たそうです。
けれども、その言葉には納得できず、次のように思われたといいます。
「お母さん、あなたの気持ちはわかるけど、おれの気持ちは違う。おれには、いい大学を出て、いい会社に勤めて、人に笑われない人生を送るというような価値観は一切ありません。でもリッパな人間にはなりたんです」
そして、心の中で誓われた言葉が次の名言なのです。
「わたしは人に笑われるリッパなニンゲンになります」



鎌田氏は、「リッパ」な人間について次のように述べておられます。
「わたしの考えるリッパな人間とは、社会的地位が高いとか高額所得者とかではなく、少なくとも、言っていることとしていることが限りなく一致している人。少なくともそのための努力をしている人であって、そういうことに無感覚な人は、わたしにとっては嘘つきであり、全然リッパではない。暴力的なごまかしをしている人間だと捉えたのだ。」
「立派」な人間になりたいというのは、言葉では同じですが、中身はずいぶんと違うのです。さらに鎌田氏にとって、もう1つ大切だったことが、「人に笑われる」という要素でした。


(020)歌と宗教 (ポプラ新書)

(020)歌と宗教 (ポプラ新書)

この「わたしは人に笑われるリッパなニンゲンになります」という言葉とエピソードはブログ『歌と宗教』で紹介した鎌田氏の最新刊にも登場します。
「リッパ」で「人に笑われる人」とは、どんな人物なのでしょうか。
鎌田氏のイメージは、一休宗純良寛日蓮イエス・キリストといった宗教界の偉人たちなのだそうです。この定義から、鎌田氏の「人となり」を強く感じます。また、このシンプルな言葉からは「人間力」というものを感じます。さらにわたしは、「人に笑われるリッパなニンゲン」とは、宮沢賢治のいう「でくのぼう」にも通じているような気がします。
最後に、「バク転神道ソングライター」として八面六臂の活躍を続ける鎌田氏を、亡くなった御母堂様はいつも支えておられることと思います。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年3月20日 佐久間庸和