ベトナム4日目

ベトナム4日目となる12日です。
昨夜遅くまでブログを書いていたため、寝不足です。
とにかく書くことが多い上に、紹介する写真も多いのです。
はっきり言って、もう命がけで書いています!(苦笑)


今朝も、フォーを食べました



ホテルの客室のベッドが高過ぎたことも寝不足の一因です。
それでも気力を振り絞って起き上がり、朝食会場に向かいました。
朝食は昨日と同様に、ベトナム名物のフォーを食しました。
気になったのは、ビュッフェの料理にキムチなどの韓国料理が多かったこと。
一方、日本料理の姿は見えませんでした。どうやら、ベトナムでは日本人ビジネスマンよりも韓国人ビジネスマンの方が多いようです。
ホーチミンでもハノイでも、ロッテの巨大ビルやホテルの勇姿が目立ちました。


ハノイ市街のようす

雲をつく高層のロッテ・ビル

ハノイは“KARAOKE”ブーム?

ホー・チ・ミンの看板がありました

ホー・チ・ミン廟」の外観



ミッション最終日となる4日目は、終日ハノイで冠婚葬祭事情の視察でした。
まず朝一番で有名な「ホー・チ・ミン廟」を訪れました。ベトナム革命を指導した革命家にして政治家のホー・チ・ミン(1890年〜1969年)の霊廟です。彼の遺体が永久保存されているのですが、生前のホー・チ・ミン自身は自己顕示的な人物ではありませんでした。
ホー自身はその死に際しても火葬および分骨を望んでいたといいます。
本人の希望を無視して永久保存にするというのは大いに違和感を感じます。
それでも、わたしはホー・チ・ミンのご遺体に対して鎮魂の祈りを捧げました。
詳しくは、ブログ「ホー・チ・ミン廟」をお読み下さい。


ハノイの観光名所である一柱寺の前で

一柱寺を参拝しました



ふと、ホーチミン廟を背景にクマのぬいぐるみを撮影する不思議な人を見つけました。
この人の正体は(株)セレモニーの志賀社長で、世界中をクマのぬいぐるみとともに旅しているそうです。バスの車中で、各地で撮影した写真を見せてもらいました。
ホーチミン廟の周囲には、建設中の国会議事堂、ベトナム共産党本部、外務省などの建物もありました。その後、近くにある有名な史跡である「一柱寺」を見学しました。
ここでも、志賀社長はクマのぬいぐるみを撮影していました。本当に、不思議な人です。
なんでも、ブログなどに自分の写真ではなく、代わりにぬいぐるみやマスコットの写真を載せる人が増えているそうです。こういう感覚、わたしにはよくわかりません。(苦笑)
でも、クマちゃんの顔は志賀社長自身に似ているような気がしました。(笑)


ハノイの結婚披露宴を視察しました

ウェディングメニュー試食のようす



それから、ハノイの冠婚事情の視察ということで、結婚披露宴会場の“TRONG DONG PALACE”を訪れました。実際の披露宴を視察しましたが、大変な盛り上がりでした。参列者も多く、なんだか30年ぐらい前の日本の結婚披露宴のようでした。わたしたちは、ここでウェディングメニューを試食し、これがランチとなりました。


ハノイの高校の前で

ハノイの街角で

ベトナム・ファッション

メジロを売っている店

ハノイの街角で

霊柩車を発見しました



午後は、ハノイの葬祭事情の視察ということです。
わたしたちは、結婚披露宴会場の“TRONG DONG PALACE”から歩いて葬儀会館の“PHUNG HUNG FUNERAL HALL”に向かいました。途中、ハノイの高校をはじめ、各種の物売りの女性、最新のベトナム・ファッションがわかるブティック、メジロを売っている店などを目にして、なかなか興味深かったです。


一般的なハノイの葬儀場



そのうち、霊柩車を見つけました。霊柩車の前が葬儀会館の“PHUNG HUNG FUNERAL HALL”で、わたしたちは施設見学させてもらいました。
ちょうど実際の葬儀も行われていました。故人の親族は、みな白い装束に白い鉢巻をしていました。黒い喪服を着る日本とは大きな違いですが、日本だって黒い喪服を着るようになったのは大正時代以降で、それまでは葬儀の服装といえば白が基本だったのです。


ベトナムを代表する葬儀社の本部を訪問

土葬用の墓地

葬儀会館は立派でした

葬儀会館を視察しました


それから、ベトナムを代表する葬儀社の本部を訪問しました。ハノイ市の郊外にある“THANH TRI FUNERAL HALL COMMITTEE”です。ここでは葬儀事情レクチャーを受けましたが、第一生命経済研究所の主任研究員である小谷みどりさんが活発な質問を投げかけました。
さらには、葬儀会館の“THANH TRI FUNERAL HALL”を施設見学し、土葬用墓地である“VAN DIEN CEMETERY”を見学しました。
ここに埋葬された遺体は3年後に掘り返され、故郷に埋葬され直すそうです。
葬儀会館もありましたが、ハイテクを駆使した立派な施設でした。


バイクと自転車が並走するハノイの道路

ハノイ孔子廟

ハノイ孔子廟の前で



それから、わたしたちは再びバスに乗り、ハノイ市内へ戻りました。道路にはバイクと自転車が並走していました。バイク・オンリーのホーチミンとは大違いです。
途中で、孔子廟があることをラックの柴山社長が教えて下さいました。
なんでも、過去の科挙の合格者すべての名前が記されているそうです。(株)博全社の松丸社長が「孔子といえば、佐久間社長ですよね。ぜひ、一緒に行きましょう」と言ってくれました。それで、わたしたちは孔子廟へと向かいましたが、あいにく時間が遅くて門が閉鎖されていました。それでも、門の前で松丸社長が写真を撮って下さいました。



夕食は、ホテル日航ハノイ内にある和食店「弁慶」にて「フェアウェルパーティ&研修慰労会」が開催されました。最後は、ラックの柴山社長による「博多一本締め」でお開きとなりました。みんなで無事に研修が終了したことを喜びました。
終了後は専用車でハノイ空港へ向かいました。現地時間の13日の0時20分発のVN310便でハノイから成田空港に飛ぶのです。このハード・スケジュールで多くの参加者はグロッキー気味でした。なんとか、無事に日本に帰らないと!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年3月13日 佐久間庸和