平成の軍師とならん!

25日、サンレーグループ報「Ray!」2月号が発行されます。
リアルタイムで、わたしの最新メッセージをお伝えします。
タイトルは、「今だって乱世だ! われら平成の軍師とならん!」です。


「Ray!」2014年2月号



●「天下布礼」で乱世を平定
慌しかった1月がようやく終りました。わが社でも、各地で新年祝賀式典、進発式、祝賀会などが行われました。今年のわが社は、本業である冠婚葬祭事業の強化をはじめ、新たに宅食事業、樹木葬霊園事業などを開始します。
今年のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛」です。「今だって、乱世だ」がキャッチコピーですが、わたしは本当に現代の日本は乱世であると思います。NHKスペシャルの番組名にもなった「無縁社会」とか「老人漂流社会」とか、世は大いに乱れていますから!
この乱世を平定するのは「天下布武」ではなく「天下布礼」だと信じています。武力ではなく、「礼」という人間尊重の精神で世の中を平和にすることです。わが社の新しい事業によって「世直し」を敢行するためにも、社長であるわたしはど真剣になって奮闘する覚悟です。



●官兵衛の甲冑を着る
北九州および大分の新年祝賀会では、「軍師官兵衛」にちなみ、官兵衛の甲冑を着ました。また、今年のマイ・キーワードである「ど真剣」にちなんで、刀を抜いて雄叫びを上げました。もちろん刃は社員のみなさんではなく、自分自身に向けていました。
官兵衛ブームということで、いま戦国時代が熱い注目を浴びています。
「戦国時代」をテーマにした出版物も多く刊行されています。
そこで、『戦国武将の戦術論榎本秋著(ベスト新書)という本を読みました。
同書で最も興味深かったのは「出陣前の儀式」という項でした。
軍が集まり、準備が整えば、「いざ出陣」となりますが、戦国時代にはさまざまな儀式がありました。現代よりもはるかに信心深く、神仏や妖怪、あるいは「縁起の良し悪し」を信じていた時代だけに、出陣や戦いは吉日を選んで行いました。出陣に際しても、ただ軍隊を揃えて出発ということはせず、必ず儀式を執り行いました。



●「三献の儀」
出陣前の儀式で有名なのは「三献の儀」です。まず大将の三方に三つの杯を配置し、それぞれに酒を注ぎます。それから「討つ」を意味する“打鮑で”一杯、「勝つ」につながる“勝栗”で一杯、「喜ぶ」の語呂合わせの“のし昆布”で一杯。このように三種の肴で酒を飲み、神に勝利を願ったのです。最後には器を地面に投げつけて割っていたとか。
それは、「おせち料理」や「結納式」にも通じる「験(げん)担(かつ)ぎ」です。
わたしは、この「三献の儀」における「討つ」「勝つ」「喜ぶ」から、新時代の葬送儀礼である「禮鐘の儀」における「感謝」「祈り」「癒し」を連想しました。
また同じく語呂合わせで、矢をつがえない弓を一度鳴らす「人打」という儀式もあったそうです。まことに興味深いですね。



●なぜ武将が儀式を行ったか
戦国武将たちは、なぜ儀式を行ったのでしょうか。
戦国武将の戦術論』の著者である榎本氏は、「儀式は信心深い部下や兵士、民衆たちの士気を上げる手段、吉凶もそれに同じで、戦略・戦術上の事情で都合のいいタイミングを『吉日』にさせようとする暗躍、あるいは自分の行いが成功するという説得力を得るための占いの結果を操作するといった行為が当たり前のようにあったようなのである」と述べています。
戦国武将が、相手を攻めたい日があったとします。
しかし、その日は吉凶的には都合が悪い。でも、ぜひこの日に攻めたい・・・・・・。
そのような場合、戦国武将たちは専用の祈祷を行いました。戦いに明け暮れていた戦国の世では、冠婚葬祭にも通じる「験(げん)を担(かつ)ぐ」文化が色濃く存在したのです。
ある意味で、戦国時代は「こころ」を重んじる時代だったのかもしれません。



上杉謙信の「武蹄式」
戦国武将の中でも特に信心深かったのが「越後の竜」と呼ばれた上杉謙信です。
謙信は、「武蹄式(ぶていしき)と呼ばれる戦勝祈願を行っていました。これは上杉軍の守護神である毘沙門天王を降ろすための儀式です。武蹄式の前に、謙信は護摩堂に入って五壇護摩を行ったそうです。五壇護摩とは、五大尊明王不動明王・隆三世明王・軍茶利明王大威徳明王金剛夜叉明王)に祈祷することです。これによって自我を払い、精神を統一し、さらには神仏の啓示を得られると信じられていました。
ちなみに、わたしが最も敬愛する戦国武将こそ上杉謙信です。
今年は謙信公ゆかりの石川県七尾に新しい紫雲閣を建設します。



●軍師とは何か
ともあれ、今年の大河ドラマは「軍師官兵衛」です。黒田官兵衛竹中半兵衛といった戦国を代表する軍師が活躍する物語です。
戦国時代の軍師といえば、一般的には、大名の傍で状況を判断したり、作戦を立てたりするといったイメージがあるでしょう。いわば、近現代の軍隊における参謀のような存在ですね。しかし、榎本氏は「戦国時代の軍師の本来の仕事は儀式をとり行い、吉凶を見極めるものであり、どちらかと言うと呪術師に近い存在だったのである」と述べています。
関東地方にあった足利学校は宣教師が「日本唯一の大学」と呼んだ当時有数の教育機関でした。ここから多くの軍師が誕生しました。じつは、この足利学校儒学教育のメッカでもありました。日本で最も孔子の思想を研究する機関でもあったのです。つまり、足利学校で育成された軍師たちは「礼」を学んでいたのです!
「礼の社」で冠婚葬祭業という「礼業」に従事するわたしたちも、ぜひ軍師のような智恵を駆使して、「世直し」に努めようではありませんか!




大いなる礼の力を知り尽くす
    われらの出番 世をば直さん(庸軒)





天下布礼」の旗を掲げよ!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年2月25日 佐久間庸和