節分祭

2月3日の北九州は雨模様で暖かかったです。
朝、車の気温計を見ると、17度もありました。
とまれ、節分の夜、松柏園ホテルの顕斎殿で、恒例の「節分祭」が行われました。


節分祭のようす



いつものように、社内外から多くの厄除け者が集まりました。
わが社からは、松柏園ホテルの玉谷成正副支配人、戸川健さんの2人が対象者でした。
わが社以外からも、40歳となった方々が参加されました。
その中には、株式会社松尾ホールディングスの松尾智章社長の姿もありました。
40歳といえば、孔子が「不惑」と呼んだ年齢ですね。


節分祭に参列しました

厄除け者一同のようす


厄除け者たちは、破魔矢とお守りを貰いました。
厄年の「厄」とは、災厄の「厄」ではなく、役員の「役」です。
つまり、共同体の中で一定の役割を果たすという意味での「厄」年だそうです。
厄年が災いの年になることがあるのは、年齢に応じて与えられた役割を果たすことができない、つまりさまざまな難題課題を解決することができず、それに振り回されてしばしば失敗してしまうからだ、という考え方によるようですね。
厄年は時代や土地によってさまざまに決められていました。
現在でも信じる人が多いのは男性の25歳と42歳、女性の19歳と33歳で、特に42は「死に」、33は「さんざん」と語呂合わせされるところから大厄と言われています。
大厄の前後を前厄、後厄とするのも全国的です。


一同礼!



男性の42歳というのは、たしかに重要な時期です。というのも、50代、60代といった老年期にある者と、10代、20代にある若者や青年たちとのあいだを責任をもってつなぎ、文化を伝達し、集団の中で中心的な、また中堅的な役割を果たさなければならないからです。このとき、その年齢に達した人たちは、集団の中での主要な役割を振り分けられます。
その役割を果たすためには、それ相応の覚悟や能力や集中力が必要です。その集中力を発揮することによって、つつがなく課題を達成し務めを果たしたときに、その人は集団の中で認められ、評価され、次のステップに向かって進んでいくことができるのです。


福は内〜



このような役割を振りあてられ、その役割を果たすことができるかどうかという試練を受けることが、厄年の根本的な意味です。それを災いとするのも、人生のよき糧、養分とするのも、すべてはその人次第です。どのような困難が降りかかってこようとも、積極的に前向きに取り組み、課題を解決し、能力を高め、周りからも評価を受けることによって、さらに大きな人格として成長を遂げていく。その時期が厄年なのです。


鬼は外〜



しかし、基本的に厄年というのは、村落共同体や町の共同体の中で、一定の年齢に達した者が受けるネガティブ・イメージです。
その負のイメージがなぜできたかというと、それが大変な時期だからです。
災難が起こってくると考られるようになる以前は、この年齢になると、いろんなことをしなければいけないので神頼みをします。その時期になると神様に頼んで、この役割がちゃんと果たせますようにと祈る。それをいつしか災いと見るような「厄年」の漢字をあて、厄年信仰が確立していきました。ふだんは神仏など信じない人でも、厄年を迎えるとどうも不安になり、神社で厄除け祈願をすると安心します。
神事を終えたわが社の6人も、心なしか安心した表情をしていました。


豆まきのようす



その後、皇産霊神社の代表役員である佐久間進サンレーグループ会長とわたしが豆まきをしました。豆と一緒に、餅や5円玉も一緒にまきました。
5円玉はこの世が多くの「ご縁」で満ちる有縁社会を願ってまきました。
多くの人々が福にあやかろうと5円玉に殺到しました(笑)。
みなさんに福が訪れますように・・・・・。



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2014年2月3日 佐久間庸和