クリスマスの飾り付け

冬至」に当たる22日の日曜日、ずっと自宅にいました。
そして、妻のクリスマスの飾り付けを手伝いました。
明日、我が家でクリスマス会を開くので、その準備に大わらわです。それでも、妻はずいぶん以前から準備をしており、さまざまなクリスマス関係のグッズを家中に飾っています。


クリスマスの飾り付けをしました



わが家のクリスマスツリーは、すべて妻の手作りです。
玄関には、白い蝶々が舞う「バタフライ・ツリー」を飾っています。
応接間には赤いグラスボールを使用した「レッドボール・ツリー」を飾っています。
また他にも、ドイツ風の「ジャーマン・ツリー」、貝殻を散りばめた「シェル・ツリー」、それに妻が自分で製作したエッグ・アートと羽根をアレンジした「エッグ・アンド・フェザー・ツリー」などを家の中の各所に飾っています。


玄関のバタフライ・ツリー

応接間のレッドボール・ツリー

洗面所のジャーマン・ツリー

廊下のシェル・ツリー

廊下のエッグ&フェザーツリー



また、廊下の壁面にはずっと集めているイヤープレートを飾り、階段にはテディ・ベアを並べました。まるで、自宅がファンタジー・ショップに変身したようでした。さらに、わたしがヨーロッパなどで買い求めた各種の天使、サンタクロース人形、煙出し人形、マリアやイエスの人形、それに「ノアの方舟」や「イエス生誕」のオブジェなどが所狭しと家中に飾られました。


玄関の右横のようす

玄関左横の煙出し人形&くるみ割り人形

階段に並ぶテディ・ベアたち

クリスマス会ではキャンドルを灯します

すっかりクリスマス気分

廊下のクリスマス人形

ノアの方舟」や「イエス生誕」のオブジェ



クリスマスツリーといえば、キリスト教と密接な関係にあると思われています。
しかし、クリスマスツリーの原型は、北欧に住んでいた古代ゲルマン民族が使っていた樅の木です。彼らの「ユール」という冬至の祭で使われていたのです。
樅の木は冬でも葉を枯らさないので、生命の象徴とされていました。
祭りごとを行う際に樅の木を飾る習慣は、ドイツに伝わって、その後はキリスト教の普及とともにキリスト教の宗教行事に取り込まれていきました。
1419年のクリスマス、ドイツのフライブルグでパン職人の信心会がツリーを飾りました。これが、クリスマスツリーをクリスマスに飾る行為の最初とされています。


リビングのピアノの上

リビングのパソコンの上



日本で初めてクリスマスツリーが飾られたのは、1860年のことです。
プロイセン王国使節だったオイレンブルグが公館に飾ったのです。
1874年には、明治学院の前身である築地大学で行われたクリスマス・パーティーにおいて、日本初のサンタクロースとともに登場しました。


明治学院のクリスマスツリー



日本におけるクリスマス文化の紹介は、明治学院が大きな役割を果たしているのです。
1885年に横浜で明治屋が開業しましたが、1900年に東京・銀座に進出したのに伴って、銀座のクリスマス飾りが広く行われるようになりました。


応接間の一角

応接間の一角

応接間の一角



1928年には、「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と「朝日新聞」に書かれるほどになりました。
戦時中は敵国の文化として影を潜めましたが、戦後すぐに復活しました。
1948年には東京駅にもクリスマスツリーが飾られています。
しかし、当時は国営鉄道であったために宗教活動ではないかと問題にされました。
運輸省は「季節的な装飾のひとつで宗教活動ではない」と釈明したそうです。その後、各地でクリスマスツリーが飾られるようになり、冬の風物詩として定着しました。


窓のシュビッブボーゲン

ツリー横のシュビッブボーゲン

応接間の小物たち

応接間の小物たち



わたしも庭の掃除などをし、けっこう疲れました。
でも、クリスマスの飾りつけをすると、家中が急に華やかになりました。
やはり、クリスマスの飾り付けは、我が家の一大イベントです。


応接間のようす

玄関のようす

夜の玄関前のようす



応接間も、その他の部屋や廊下も、飾り付けが整いました。
夜になって、玄関のサンタ人形、スノーマン、トナカイにも灯がともりました。
翌日のクリスマス会の準備は一応整いましたが、まだ油断はできません。
みなさんをお迎えするために、「あとは何が必要か」を妻と話し合いたいと思います。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年12月23日 佐久間庸和