稲盛和夫(4)


全宇宙に存在するものすべてが、
存在する必要性があって存在している




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、現代日本を代表する経営者である稲盛和夫氏の言葉です。
わたしの最も尊敬する経営者の1人である京セラ名誉会長の稲盛和夫氏は、日本人にいま求められていることは、「人間は何のために生きるのか」という、最も根本的な問いに真正面から向かい合い、哲学を確立することだと述べています。そして、日本を代表する哲学者である梅原猛氏とともに『哲学への回帰』(PHP文庫)を上梓されています。


戦後60年近く経って、いまの日本に哲学がないという欠陥が明らかになってきました。
戦後の日本を担ってきたリーダーたちが哲学を必要としなかったからです。
戦後の日本で哲学を必要としたのは、現実に世界を変えようとした社会主義者だけでした。彼らはマルクス哲学を全面的に真理と考えましたが、ソ連や東欧の社会主義国家の崩壊によって、それが誤りであることがはっきりしました。
資本主義の欠陥についてのマルクスの指摘は正しい点もあるのでしょうが、暴力革命肯定論を全面的に正しいと考えて信奉するのは、とんでもない話です。そこには憎悪の神聖化があるわけですが、憎悪は必ず拡大再生産されます。



その哲学の中には、非常に大きな間違いがあったと思わざるをえません。マルクス哲学が、戦後の日本人が唯一信奉した哲学なのに、それが間違っていることがわかって、いよいよ哲学は無用であることになりました。そうして政治家も経営者も、哲学のないまま今日に至ったわけです。政治には首尾一貫した思想、哲学が必要です。大衆に迎合して格好良さだけを求め、思想、哲学のない政治は必ず行き詰まり、そして国民に大きな禍を与えます。


稲盛和夫の哲学―人は何のために生きるのか (PHP文庫)

稲盛和夫の哲学―人は何のために生きるのか (PHP文庫)

「人間は価値ある存在なのか」「この世に生を受け、生きていく意味とはどこにあるのか」
そのように「人間」というものに対して核心をつくような問いを受けたとき、どうするか。
稲盛氏は、著書『稲盛和夫の哲学』(PHP文庫)の中で次のように語られています。
「地球上・・・いや全宇宙に存在するものすべてが、存在する必要性があって存在している。どんな微小なものであっても、不必要なものはない。人間はもちろんのこと、森羅万象、あらゆるものに存在する理由がある。たとえ道端に生えている雑草一本にしても、あるいは転がっている石ころ一つにしても、そこに存在する必然性があったから存在している。どんなに小さな存在であっても、その存在がなかりせば、この地球や宇宙も成り立たない。存在ということ自体に、そのくらい大きな意味がある」



宇宙のなかで「存在する」ということは、あるものが自立的に存在するのではなく、すべてが相対的な関係のなかで存在するということになります。さらに考えを進めていけば、他が存在しているから自分が存在するし、自分が存在するから他が存在するという、相対的なつながりにおいて存在というものが成り立っている、ということができます。  
釈迦ことゴータマ・ブッダはこれを「縁があって存在する」というふうに表現しましたが、つまるところ哲学的思考とは、宇宙の中における人間の位置や、自然の秩序や人生の意味などについて深く考えをめぐらせることだといえます。
なお、今回の稲盛和夫氏の名言は『ハートフル・ソサエティ』(三五館)にも登場します。


ハートフル・ソサエティ

ハートフル・ソサエティ

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年12月22日 佐久間庸和