「物識り」よりも「物分り」
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、陽明学者・安岡正篤の言葉です。
彼は、物識り」よりも「物分り」が大事であると述べました。
- 作者: 安岡正篤
- 出版社/メーカー: 致知出版社
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「物識り」というのは、単なる論理やいろんなことを知っているだけです。
情理や実理、真理、道理など本当の理を解することを「物分り」というのです。
では、「本当の理」とは何でしょうか。ちょっと考えてみましょう。
現代物理学のキーワードである「モノからコトへ」は、そのまま仏教の「諸行無常」という思想につながります。「諸行無常」と聞いて、多くの日本人はある古典文学を思い出すのではないでしょうか。そうです、『平家物語』です。冒頭に、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」と出てきますね。そして、その次には、「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。」と続きます。「盛者必衰の理」とは、わたしの大好きな言葉で座右の銘の一つでもあります。
よく考えてみれば、これは一種の「法則」であることに気づきます。
宇宙の法則であり、人生の法則です。そして、なぜ「法則」ではなく、「理」なのかということを、ふと思いました。西洋なら、きっと「盛者必衰の法則」と表現したのではないでしょうか。
わたしは、ひょっとして日本人は「法則」よりも「理」を好むのではないか。
「法則」よりも「理」が日本人にはふさわしいのではないかと思いました。
では、「理」とは何か。一口に理、「ことわり」というと、まず思い浮かぶのは「論理」でしょう。この論理という語に対して、古来より「情理」という語があります。
単なる知識の理ではなくて、情というものを含んだ理です。
「パスカルの原理」で知られるフランスの哲学者パスカルは、頭の論理に対して胸の情理を力説しましたが、「感情というものは心の論理である」との名言を残しています。
論理より情理に入って、さらに、わたしたちの人生の理というべきものに「実理」「真理」「道理」などがあります。ここで、安岡正篤が登場します。は「物識り」よりも「物分り」が大事であるという彼の言葉には、真の意味で「理」を理解するという意味が込められているのです。なお、今回の安岡正篤の言葉は、『法則の法則』(三五館)にも登場します。
- 作者: 一条真也
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*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。
2013年12月2日 佐久間庸和拝