葬祭責任者会議

7日の午後、東京から北九州へ帰りました。
北九州空港着陸目前のスターフライヤー機の前に忽然と鳥が出現し、事故を避けるために着陸を延期したため、ずいぶん到着が遅れてしましました。小さな鳥が大きな飛行機の進路を妨げるという現実を見て、わたしはブログ「マッキー」で紹介した、ハエが人間に復讐する映画の内容を思い出しました。北九州空港に着くと、そのままサンレー本社に直行、会議室で社長訓話を行いました。サンレーグループ国葬祭責任者会議での訓話です。


会議での社長訓話のようす



今日の会議では、ブログ「禮鐘の儀」に書いた出棺時に鳴らす鐘の設置が大きな議題でしたので、最初にその話をしました。10月2日にオープンしたグループ55番目の紫雲閣である霧ヶ丘紫雲閣は、個人の邸宅をイメージして作られた新感覚のセレモニーホールです。
いま、「家族葬」という言葉が誤解されていますが、多くの方々の縁に感謝しながら参列者をお迎えしつつ、家族によって温かい見送りができる、ここで真の意味での「家族葬」を提案したいと思います。いわば、サンレーが考える家族葬です。


家族葬について述べました



この霧ヶ丘紫雲閣では、出棺の際にクラクションを鳴らすことはやめました。
その代わりに、「禮」という文字が刻まれた銅鑼を鳴らして出棺する「禮鐘の儀」を新たに行います。新時代の儀式が、ここから生れます。
セレモニーホールとは、ある意味で港のようなものです。
そう、故人の魂が「こちら側」から「あちら側」へと旅立つための港です。船の出港の際には、銅鑼(どら)を鳴らすもの。その意味でも、「禮鐘の儀」はぴったりである。そして、わたしは「人生を旅立つ港霧が丘 銅鑼を叩けば禮と響けり」という短歌を披露しました。


「禮鐘の儀」について説明しました



禮鐘の儀」では、禮鐘が3回叩かれまします。この3回というのは「祈り」「感謝」「癒し」の意味が込められており、サンレーに通じる「三禮」という意味もあります。
鐘は会館正面に建つ鐘楼につり下げられ、直径48センチ、暑さが10センチ、重さは50キロ近くもあります。正確には、禮鐘は「鰐口」という鐘です。古代の日本では、神社にも寺院にもともに鰐口が吊るされていたそうです。その後、時代が下って、神社は鈴、寺院は釣鐘というふうに分かれていったのです。 ですから、鰐口は神仏共生のシンボル、さらには儒教の最重要思想である「禮」の文字が刻まれた「禮鐘」は神仏儒共生のシンボルとなります。言うまでもなく、神道・仏教・儒教は日本人の「こころ」の三本柱ですね。



もともと、わが社は1978年(昭和53年)、北九州市に日本初の都市型総合葬祭会館である「小倉紫雲閣」を建てました。最近では家での葬儀が減って葬祭会館などで行うケースが増えたのに伴い、都市部に建つ施設が多くなりましたが、同時に周辺住民の方々がクラクションの音を迷惑がる例も目立ってきました。霧ケ丘紫雲閣の前には道路を挟んで小倉有数の高級住宅街が広がります。それで、「禮鐘」の導入を決意したのです。
鐘の音はクラクションに比べて低く、響きが少ないです。本来、クラクションにはいわれがなく、かつて野辺の送りの時に鳴らされた鐘の代わりに使われた慣習に過ぎません。


儀式のイノベーションについて語りました



儀式とは、時代に応じて柔軟に変化して構いません。もちろん、「変えてはならない」部分と「変えてもよい」部分がありますが、出棺時のクラクションは鐘に変えるべきです。
最も大事なことは、故人を送り出すという心であることは言うまでもありません。葬儀が「人生の卒業式」ならば、鐘の音は出港するドラの音にも似て、故人があちらの世界へ旅立つのには、ふさわしいと思います。半年以内に全ての紫雲閣に鐘を設置する計画です。
数年以内には、日本中の葬儀からクラクションが消えている・・・・・そんな予感がします。


宇宙葬についても話しました



それから、ブログ「宇宙葬」に書いたように、アメリカの宇宙葬会社であるエリジウム・スペース社が10月1日に日本進出を果たしましたが、その話をしました。同社のトマ・シベ(Thomas Civeit)CEOは、元NASAの技術者で、なんとハッブル望遠鏡の開発者でもあります。その彼が、インタビューで「宇宙葬が日本人の葬送の文化にどのような影響をもたらすと考えていますか?」との質問に対し、次のように答えています。
「日本人の宗教観においては仏教というものが大きく影響していると思います。仏教では死後の世界というものに対して既に一定の世界観があります。クリスチャンよりも遺体を大事にするように思われますが、その一方、日本文化では散骨がとても自然に行われています。実際、私が調査したところ、日本人の中に最も早く宇宙葬を考えた一人がいます。一条真也という作家で、1980年代にとても素晴らしい本を書いています。 彼は日本の葬儀の未来に対してビジョンを抱いていました。死というものを地上から天へと解き放つ時期が来た、と。 死に対する価値観を変えていくという面で、私は彼に共感し『よしやろう』と思いました。人は死後、宇宙や月に行き、意義深く詩的な最期を迎えるということです」



なんと、ここで「一条真也」という名前が登場したので、わたしは非常に驚きました。
そして、しみじみと感動しました。『ロマンティック・デス』(国書刊行会)の中で、わたしが述べた「死のロマン主義」にNASAの重要人物が共感してくれたという事実に、そして彼が起業した宇宙葬のビジネスが実際にアメリカで大成功したという事実に・・・・・。
おそらくは、わが社の小倉紫雲閣で葬儀実務を研修した鈴木光さんがハーバード大学大学院在籍中に英文で書いた「葬儀」についての著書で『ロマンティック・デス』を大きく紹介して下さったので、それをNASAの関係者が読んだのでしょう。その鈴木さんは現在、オーストラリアのシドニー大学で研究員(死生学)を務められていますが、今回の日本での宇宙葬スタートについての「毎日新聞」の取材に対して、「日米共に、宗教に縛られず自分らしい死への道筋を考える動きが広がっている。その時の新しい選択肢の一つになる」と語っています。


「慈経」を自由訳して朗読しました



最後に、わたしは「慈」について話しました。
ブログ「『慈経』を訳す」に書いたように、わたしは今、上座部仏教の根本経典である「慈経」の自由訳に取り組んでいます。そのため、「慈」というものについて毎日考えています。
一番新しい著書である『死が怖くなくなる読書』で、わたしが取り上げた「死」の本は、いずれも「人間の死」についての本でした。例外は、人魚の死を描いたアンデルセンの『人魚姫』、異星人の死を描いたサン=テグジュペリの『星の王子さま』です。他にも、ブログ「『サンデー毎日』書評」に書いたように、わたしは新美南吉の『ごんぎつね』という童話が子どもの頃からの愛読書です。『ごんぎつね』は狐にまつわる童話ですが、その他にも鶴にまつわる『つるのおんがえし』、鬼にまつわる『泣いた赤鬼』などの日本の童話が好きでした。それぞれ、最後には狐や鶴や鬼が死ぬ物語で、残された者の悲しみが描かれています。


「慈」に対する想いを述べました



当然ながら、異星人も人魚も狐も鶴も鬼も人間ではありません。
でも、彼らも人間と同じ「いのち」であることには変わりはありません。
人間の死に対する想いは「人間尊重」としての「礼」になります。
そして、あらゆる生きとし生けるものの死に対する想いは「慈」となります。
「礼」が孔子的だとすれば、「慈」はブッダ的であると言ってもいいでしょう。



じつは、ブログ「ムーンサルトレター第100信」にも書いたように、わたしは年内に『慈を求めて』(三五館)という著書を刊行する予定です。
孔子文化賞受賞記念出版となった『礼を求めて』(三五館)の続編で、日本最大の新聞系ポータルサイトである「毎日jp」の「風のあしあと」に連載中の「一条真也の真心コラム」をまとめた内容ですが、「世界平和パゴダ」の再開をはじめとした仏教関連のテーマが多いので、「礼」の次は「慈」を求めることにしたのです。


「慈礼」という新コンセプトを示しました



「慈」という言葉は、他の言葉と結びつきます。
たとえば、「悲」と結びついて「慈悲」となる。
また、「愛」と結びついて「慈愛」となります。
わたしは、「慈」と「礼」を結びつけたいと考えました。
すなわち、「慈礼」という新しいコンセプトを提唱したいと思います。
慇懃無礼」という言葉があるくらい、「礼」というものはどうしても形式主義に流れがちです。
また、その結果、心のこもっていない挨拶、お辞儀、笑顔が生れてしまいます。
逆に「慈礼」つまり「慈しみに基づく人間尊重の心」があれば、心のこもった挨拶、お辞儀、笑顔が可能となります。わが社の「S2M」にもある「サービス・トゥー・マインド〜お客様の心に響くサービス」が実現するわけです。『慈を求めて』でも詳しく書くつもりですが、今後、必ずや「慈礼」はサンレーグループの最重要キーワードとなるでしょう。


大いに話が弾みました

最後は「末広がりの五本締め」で・・・


社長訓話の後、松柏園ホテルに場所を移して、懇親会が開かれました。
最初にわたしが挨拶した後、東孝則常務が「今年は件数、予算とも絶対に完達できます!」と断言して、乾杯の発声をしました。あおれから、宴は大いに盛り上がりました。
最後は、祐徳秀信部長によるサンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。


二次会での乾杯のようす

二次会も大いに盛り上がりました



さらに懇親会の後は、松柏園のラウンジで二次会も開かれました。
北陸の高市修部長の音頭で、再度、乾杯が行われました。
日頃は離れて仕事をしている仲間たちが大いに親睦を深めた夜となりました。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年11月8日 佐久間庸和