気地

わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。
この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。
今回は、「気地」という言葉を取り上げることにします。



「病は気から」と言われるように、病気とは気の問題であり、病院について考える上でも「気」が重要なキーワードになります。東洋医学や東洋思想は、考え方の中心を「気」においています。宇宙には気という生命エネルギーが満ちています。人間や動植物は、宇宙から気のエネルギーを与えられて生まれ、また宇宙の気のエネルギーを吸収して生きているのです。
東洋医学では、人間は天の気(空気)と地の気(食物)を取り入れて、体内の気と調和して生きているとされています。科学的に見れば、気は1つの波動なのです。したがって、気が乱れると病気になってしまいます。



人間の身体とは気の流れそのものにほかなりません。それは、ちょうどバッテリーのようなものです。バッテリーは放電ばかりしていると、電気がなくなってしまいます。長くもたせるためには、ときどき充電しなければなりません。人間も同様で、気の充電をしなければ「気力」もなくなり、「やる気」も起こらなくなって、ついには「病気」になって死んでしまいます。よく、非常に多忙な人が何日間かリゾートへ行ってきて、「たっぷり充電してきた」などと言いますが、あれは比喩ではなく、実は即物的な表現なのです。その人は実際に気を充電したのです。そして、病気の人とは気が不足している人であり、最も気の充電が必要とされるのです。病院は、リゾートと同じく、巨大な気の充電器とならねばなりません。
いわば、生命力の基地としての「気地」にならねばならないのです



「気地」は、「パワースポット」という言葉にも通じます。そして、日本においては神社の存在がクローズアップされます。今年は伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮出雲大社の60年に一度の大遷宮が重なったこともあって、神社が大いに見なされています。
特に若い人たちの間で、「パワースポット」として熱い注目を浴びています。
いわゆる生命エネルギーを与えてくれる「聖地」とされる場所ですね。



神道研究の第一人者である宗教哲学者の鎌田東二氏によれば、空間とはデカルトがいうような「延長」的均質空間ではありません。世界中の各地に、神界や霊界やさまざまな異界とアクセスし、ワープする空間があるというのです。ということは、世界は聖地というブラックホール、あるいはホワイトホールによって多層的に通じ、穴を開けられた多孔体なのですね。
まさに、「精神世界の六本木」と呼ばれた天河大弁財天社にしろ、伊勢神宮出雲大社にしろ、神社とは穴の開いたパワースポットなのです。


神社は気地=パワースポットです!(天河大弁財天社にて)



わたしも、疲れたときなど、よく神社に行きます。
何よりもまず、神社は木々に囲まれた緑の空間です。
ゆたかな緑の中にいると、いつの間にか元気になります。
また、神社はさまざまな願いをかなえてくれる場所でもありますね。
わたしは、しばしば志を短歌に詠み、神社に奉納します。
不思議とその後は物事が順調に進み、願いがかなうような気がしています。
八百万の神々をいただく多神教としての神道の良さは、根本的に開かれていて寛容なところです。まったく神社ほど平和な場所はありません。伊勢神宮出雲大社には心御柱がありますが、すべての神社は日本人の心の柱だと思います。そんな考えをもとにして、わたしは、かつて『開運!パワースポット「神社」へ行こう』(PHP文庫)を監修しました。
神社は、日本人の「こころのバッテリー」であると思います。


開運! パワースポット「神社」へ行こう

開運! パワースポット「神社」へ行こう

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年10月24日 佐久間庸和