幸田露伴(1)


惜福、分福、植福




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、明治の文豪・幸田露伴の言葉です。
誰でも幸福になりたいもの。「幸福」こそ、人間にとって最大のテーマでしょう。その「幸福」を求めて、これまで数多くの幸福論が書かれてきました。その中でもじつにユニークな1冊が、幸田露伴の『努力論』です。人生の幸不幸をいろんな角度から検討し、どうすれば明るくのびやかな気分をもって生きることができるかを徹底的に論じています。


努力論 (岩波文庫)

努力論 (岩波文庫)


露伴といえば、漱石や鷗外と並び称せられる明治の大文豪であり、慶應義塾塾長の小泉信三をして「百年に一人の頭脳」とまで言わしめた巨人ですが、その彼がわざわざこんな問題について書いたのには理由があります。
この本を書いた明治末から大正初めの頃、事業の失敗や失業、貧困など、さまざまな外的原因によって自らを不幸だと思い込み、悩み、苦しみ、陰惨な思いに沈んでいる人があまりにも多く、それを見かねた露伴が「気の持ちよう次第で人はいかにも明るくのびやかに生きられる」というメッセージを伝えたかったからだというのです。
露伴は「どうすれば人は必ず幸福になれるか」というスタイルの幸福論は不可能であると考え、「どういう心がけで生きれば、不本意なことが多い世にあって人生を肯定的に生きられるか」を説いたのです。ゆえに『幸福論』ではなく、『努力論』なのでした。


幸田露伴の語録に学ぶ自己修養法

幸田露伴の語録に学ぶ自己修養法


さて、幸福を引き寄せるために、露伴は「幸福三説」なる三つの工夫を述べています。
第一は、「惜福(せきふく)」です。これは、福を使い尽さないこと。「たとえば掌中に百金を有するとして、これを浪費に使い尽して半文銭もなきに至るがごときは、惜福の工夫のないのである」と露伴は言います。炭火に灰をかけて長持ちさせるのが惜福なのです。



第二は、「分福」です。露伴によれば、恵まれた福を分かつことは、春風の和らぎ、春の日の暖かみのようなものであるといいます。春風はものを長ずる力であり、暖かさでは夏の風にはかなわないが、冬を和らげ、みんなを懐かしい気持ちに誘うことができる。それと同じように、福を分かつ心を抱いていると、その心を受けた者はやすらかな感情を抱くものである。分福をあえてなす者は周囲に和やかな気を与えることができるというのです。



そして第三は、「植福」です。リンゴの木があったとして、なるがままに実を実らせて食べるのもいいですが、木を傷めないように枝を詰めれば、長く実りが得られます。これが惜福ということです。しかし、それだけではいつかはリンゴの木は枯れてしまって、実りは得られなくなる。リンゴの木がまだ花を咲かせ、実をつけているうちに、種を播き、接ぎ木をし、新しいリンゴの木を育てておきます。それを自分の子孫が食べるのです。これが植福です。
1人の植福がどれだけ社会全体の幸福にするか計り知れません。
植福において、個人と社会の福がつながるのです。



露伴は、福とは天に向かって矢を放った状態であると考えました。矢は必ず落ちてきます。つまり、そのままにしておいては福はなくなります。福をなくさないためにも、さらには福を増やすためにも、「惜福」「分福」「植福」の3つの工夫から学ぶところは大きいと言えます。
なお、今回の露伴の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

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2013年9月23日 佐久間庸和