ソクラテス(1)


自分は知恵のある者ではない




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉です。
西洋哲学の祖とされるソクラテスは、紀元前469年に、彫刻家ないし石工の父と産婆の母との間に生まれたとされます。アテナイに生まれ、スパルタと戦ったペロポネソス戦争に従軍した他は、生涯のほとんどをアテナイで暮らしました。


ソクラテス (岩波新書)

ソクラテス (岩波新書)


ソクラテスは、自分自身の「魂」を大切にすることの必要を説きました。また、自分自身にとって最も大切なものは何かを問い、毎日、町の人々と哲学的対話を交わしました。
それには契機となる出来事がありました。彼にはすでに何人かの弟子がいましたが、その1人であるカイレフォンがデルフォイの神託所に尋ねると、「ソクラテス以上の賢者はいない」というアポロンの託宣を受けたのです。この神託に直面したソクラテスは当惑しました。そして、「いったい、神は何を言おうとしておられるのか。何の謎をかけておられるのか。なぜなら、わたしは自分が知恵のある者ではないことを自覚しているのだから」と自問したのです。



しかし、神はけっして偽りを言うはずがありません。
無知なるソクラテスを「最高の賢者」と語るからには、何か深い意味が隠されているに違いないのです。ソクラテスは、この謎を解くことが神から自分に課せられた天職であると理解し、思い悩んだ末に、世に賢明のほまれ高い人々を歴訪することを決心しました。彼らから賢さを学ぶことによって、謎の神託の意味を解こうとしたわけですが、この対話活動こそ彼の哲学の出発点となりました。また同時に、彼が死罪となる運命の第一歩だったのです。



すでに年配だったソクラテスは、アテナイの町角や体操場で美しい青少年や町の有力者たちを相手に、「人を幸福にするものは何か」「善いものは何か」「勇気とは何か」などと問いただしました。これをソクラテスの「問答法(ディアレクティケー)」といいます。これらの問答のテーマの多くは実践に関するものでしたが、最後はいつも「まだ、それはわからない」という無知の告白を問答者同士が互いに認め合うことによって終わりました。



多くの青年はソクラテスの問答に魅了されて、20歳のプラトンのように彼の弟子になりました。しかし、その他の青年は次のように思って憤慨しました。つまり、ソクラテスは「まだ、それはわからない」と言いながらも、実は自分では知っているかのような印象を与える。これを「ソクラテスのイロニー」といいますが、そこで自分たちの無知を露呈された人々は、ソクラテスのやり口の陰険さを怒ったのです。



しかし、ソクラテスの真意は、各人が自己の存在がそれによって意味づけられている究極の根拠についての無知を悟り、これを尋ねることが何よりも大切なことと知るように促すことにありました。もとよりソクラテスがこの根拠を知るということではなく、むしろ、究極の根拠についての無知を悟ることにありました。いわゆる「無知の知」です。



対話活動の結果、ソクラテスが発見したことは何でしょうか。
それは、賢いと思われている人々は本当は少しも賢くないということでした。
すなわち、「人間の知恵など無に等しい」ということ、「ソクラテスのように自分の無知を自覚することが人間の賢さである」ということが、アポロンからのメッセージだったのです。



ソクラテスのめざすところは、「無知の知」への問いかけを通じてこの「行き詰まり(アポリア)」の内にとどまるところにありました。それがソクラテスの哲学だったのです。
それは根元から問いかけられるものとしての場に自分を置くことであり、このような方法で自分が全体として根源から照らされることだったのです。
ところで、わたしは最近、「知」の最前線を行きながら「無知の知」を唱える現代のソクラテスを発見しました。詳しくは、ブログ「書評スピーチ」をお読み下さい。 
なお、今回のソクラテスの名言は『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)にも登場します。


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年9月17日 佐久間庸和