松下幸之助(3)


嫉妬は狐色に焼く




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助の言葉です。
企業に限らず、組織という人間の集まる場において嫉妬は避けられない問題です。
松下幸之助は「嫉妬は狐色に焼くのがよろしい」という素晴らしい名言を残しています。


リーダーになる人に知っておいてほしいこと

リーダーになる人に知っておいてほしいこと


嫉妬は女の性(さが)であり、男は嫉妬しないという人もいます。たしかに『字訓』を著した漢字学の大家・白川静によれば、「嫉」とは疾に通じ、疾病や疾悪という意味につながります。もともとが、その情は「女人において特に甚だしい」ことから、嫉の字を用いたといいます。「ねたむ」「そねむ」の意味を持つ「妬」も、女偏を持つのは同じことです。
ところが、男も嫉妬します。古代ギリシャの政治家テミストクレスは「まだ自分は妬まれたこともないので、何ひとつ輝かしいことはしていない」と語りました。
しかし、彼はその後、紀元前480年のサラミスの海戦でアケメネス朝ペルシャの海軍を撃破しながら、市民の強烈な嫉妬と反感にあって陶片追放の市民投票で死刑を宣告され、皮肉なことにペルシャに亡命したのです。



中国では、病的なやきもちを「妬癡(としつ)」と呼びます。
唐の時代に李益という男がいました。この人物は自分の妻の貞操を疑い、明けても暮れても苛酷なまでに妬癡したために、男の妬疾の甚だしいことを「李益の疾」というくらいでした。
また、男の妬を指すために「媢(ぼう)」という漢字があったほどです。



この点でいえば、むしろ男の嫉妬のほうが始末におえないのかもしれません。
たしかに、自分が他人より劣る、不幸だという競争的な意識があって心に恨み嘆くことを嫉妬であると考えるならば、古くから仕事の上で競争にさらされてきた男の場合こそ、嫉妬心を無視するわけにはいきません。
そうした一見愚かに見える感情もまた、人間の備えている自然の性質の一部であり、それゆえ無理やり抑えつけてはならないとの人間観を示した人物こそ、松下幸之助でした。


人間通 (新潮文庫)

人間通 (新潮文庫)


松下幸之助は「嫉妬は狐色に焼くのがよろしい」と言いました。
ちょうどせんべいを焼くように、焼きすぎてもいけませんし、焼き足らないのもいけません。適度に焼けば、香りが立って、人間性に具合よく味付けできるものです。
そういう嫉妬なら反面活力につながりますから、むしろ好ましいと言えるでしょう。それが松下が言いたい要点でした。ベストセラー『人間通』を書いた国文学者の故・谷沢永一は、この「嫉妬は狐色に焼く」を松下幸之助一代の名言であると絶賛しています。



わたしも大学卒業後、入社したばかりの会社から著書を出版してもらったり、業界では最年少で社長に就任した際、他人からのジェラシーを強く感じた経験があります。今思い出しても不快になるぐらい、嫌な思いもしましたし、大きなストレスも感じました。何よりも嫉妬する男たちが醜悪に見えて仕方がありませんでした。
以来、あんな醜い真似は自分は絶対にしたくないと思うようになりました。



ブログ『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で紹介した村上春樹氏のベストセラー小説では、主人公が親友たちから唐突に絶交されます。その理由については、彼にまったく思い当たるところがありませんでした。物語の後半で理由らしきものが明かされますが、わたしはジェラシーが大きな原因だったように思えます。5人の仲良しグループのうち、4人とも地元の名古屋の大学に進学したのに対して、主人公の多崎つくるだけが東京の大学に進んだからです。とにかく、思い当たる節がないのに急に他人から悪意を向けられた場合、その原因は嫉妬である可能性が高いでしょう。
もちろん、わたしも男たちが狐色の活力で発奮することには大賛成ですが・・・・・。
なお、今回の松下幸之助の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

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*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年7月4日 佐久間庸和