司法修習生への講演

今日の16時半から松柏園ホテルで講演を行いました。
マイ・ローヤー」こと辰巳和正先生が、慶應義塾大学ロースクール出身の司法修習生を対象に開かれているプライベートな勉強会である「辰巳塾」での講演です。


辰巳塾で講演しました



わたしは、もう何年もこの辰巳塾で「礼と法について」という講演を行ってきました。
講演の最後で、わたしは司法修習生の方々に向けて、「法律的には許されても、人間として許されないことがある」と述べます。これは、辰巳先生の信条でもあります。
酒気帯び検査を切り抜けたからといって、飲酒運転は絶対に許されません。
相手が泣き寝入りしようが、セクハラを許してはなりません。
いくら証拠がなくても、ウソを言って人を騙してはなりません。
結局は、法律とは別に「人の道」としての倫理があり、それこそが「礼」なのです。
現実世界における法律の影響力は絶大です。
しかし、大切なのは「礼」と「法」のバランス感覚なのです。
最後は、次の短歌を詠んで若き法曹の徒に贈ります。
「よく学び法を修めし人なれば 礼も修めて鬼に金棒」


本を読め、人と会え、旅をしろ!



しかし、今日は「礼と法について」の話はしませんでした。
その内容を記したブログ「司法修習生への講演」を修習生のみなさんがすでに読んでいるので、他の内容の話をしてほしいとのリクエストがあったのです。
それで、今日の講演のテーマは辰巳先生からのリクエストにより「読書のすすめ」でしたわたしは、拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)の内容をもとに話しました。
まず最初に、「本を読め、人と会え、旅をしろ!」と言いました。


わたし自身の読書体験を話しました



それから、わたし自身の読書体験について話しました。
わたしの場合は、新しい分野を学ぶ時には入門書を複数冊買います。
その分野の全体像と重要なポイントを把握するためです。
12年前に社長に就任した際、わたしは「数字に強くなろう」という明確な目的を設定しました。そして、簡単な数学本から入って数字を好きになった後、会計本、金融論、経済学、経営論へと読み進んでいきました。どの分野も複数の入門書で基礎知識をつけたうえで専門書を20冊くらいずつ読みました。



よく「本を読んでも集中力が途切れたり、内容が頭に入ってこない場合はどうすればいいか」という質問を受けます。わたしは、読む前の準備として、著者のプロフィールをよく読み、著者像を具体的にイメージします。「名著や古典の場合、著者はすでに故人であるケースが大半だが、生前の姿をありありと思い浮かべ、1対1で自分のためだけに話してくれているとイメージする。自然と真剣になり、内容を吸収できる」とコメントしました。
さらに「目次」と「まえがき」は必ず読み、本の全体像と概要を把握します。後で自分が今読んでいる箇所がどういう位置づけかが分かり、理解しやすくなるからです。



本を読む時は、重要だと思う箇所にボールペンで赤線を引き、読み返して特に重要だと思ったら赤線を引いた箇所の上の余白に「※」の記号をつけておく。その後は赤線や「※」の箇所を中心に再読すれば、重要な部分を効率よく自分のものにできます。
わたしは、これまでに『論語』を50回読みました。40歳を前に読んだ時は孔子の言葉の一つひとつが今の自分の悩みについて語られていると思いました。また、なぜ2500年前に生きた孔子がこんなに分かるのか不思議でした。
読み返すたびに、その不思議な思いは強くなり、同時に理解が深まっていきました。



「読書の最大の効用とは何か」という問いかけもしました。わたしは、それは金儲けではなく、心を豊かにすることだと思っています。そこで、「教養」がキーワードになってきます。
わたしは、「江戸しぐさ」を学んでいます。江戸の町衆の間に広まった思いやりの作法ですが、そのキーワードに「お心肥」があります。
まさに江戸っ子の神髄を示している非常に含蓄のある江戸言葉のひとつです。
その意味は、頭の中を豊かにして、教養をつけるといった意味です。ただし、江戸っ子のいう教養とは「読み書き算盤」だけのことではありません。



本を読むことは、もちろん重要です。実際、江戸時代の人々は『論語』をはじめとした儒学の本をよく読みました。でも、それだけでは足りません。
実際に体験し、自分で考えて、初めてその人の教養になるのです。人間はおいしいものを食べて身体を肥やすことばかりになりがちですが、それではいけません。立派な商人として大成するためには人格を磨き、教養を見につけること、すなわち心を肥やすことが大切です。



インテリジェンスには、色々な種類があります。学者のインテリジェンスもあれば、政治家や経営者のインテリジェンスもある。冒険家のインテリジェンスもあれば、お笑い芸人のインテリジェンスもある。 けっして、インテリジェンスというものは画一的なものではありません。
しかし、すべての人々に必要とされるものこそ、「心のインテリジェンス」であり、より具体的に言えば、「人間関係のインテリジェンス」ではないでしょうか。
つまり、他人に対して気持ち良く挨拶やお辞儀ができる。
相手に思いやりのある言葉をかけ、楽しい会話を持つことができるのです。


教養とは何か



これは、「マネジメントとは、つまるところ一般教養のことである」というドラッカーの言葉にも通じます。 わたしは、教養こそは、あの世にも持っていける真の富だと確信しています。
あの丹波哲郎さんは80歳を過ぎてからパソコンを学びはじめました。 ドラッカーは96歳を目前にしてこの世を去るまで、『シェークスピア全集』と『ギリシャ悲劇全集』を何度も読み返していたそうです。死が近くても、教養を身につけるための勉強が必要なのです。
モノをじっくり考えるためには、知識とボキャブラーが求められます。知識や言葉がないと考えは組み立てられません。死んだら、人は魂だけの存在になります。そのとき、学んだ知識が生きてくるのです。 そのためにも、人は死ぬまで学び続けなければなりません。現金も有価証券も不動産も宝石もあの世には持っていけません。それらは、しょせん、この世だけの「仮の富」です。 教養こそが、この世でもあの世でも価値のある「真の富」なのです。


辰巳先生から講演の謝礼を受け取る



そこから、新刊の『命には続きがある』(PHP)、『死が怖くなくなる読書』(現代書林)の内容を簡単に紹介し、人間は読書によって「死の恐怖」や「死別の悲しみ」さえも超えることができると訴えました。最後は「みなさんが立派な法律のプロのなるためには、なによりも人間通にならなければなりません。人間通になるためには読書の習慣が欠かせません。どんなに仕事が忙しくても、毎日少しづつでも本を読んで下さい」と言って、講演を終えました。
すると、盛大な拍手を頂戴して、とても嬉しかったです。
講演の謝礼として、辰巳先生から台所用の網、関連商品、さらには魚のみりん干しを頂戴しました。こんな洒落たプレゼントを頂いたのは、生まれて初めてです!


講演会後の食事での乾杯のようす

美味しいお酒をガブガブ飲みました



講演終了後は、みなさんと一緒に会食しました。
辰巳先生の差し入れで美味しいワインを頂きました。
また、飛び入りでラ・ギャラリー・デュ・ヴァンの取締役ワインディレクターの福永茂さんが参加されて、ワインの解説をしてくれました。福永さんは乾杯用のシャンパンも差し入れてくれましたが、よく冷えていて、火照った喉に気持ち良かったです。
食事の席でも、議論が盛り上がり、大いに語り合った一夜となりました。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年6月29日 佐久間庸和