安岡正篤(1)


本当の人間尊重は礼をすることだ




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、昭和の陽明学者・安岡正篤の言葉です。
御存知の方も多いと思いますが、「礼」はわたしにとって最も重要な思想です。
わが社のミッションは「人間尊重」ですが、この源流は「礼」にあります。古代中国における孔子にはじまる儒家は、「礼」の思想にもとづく秩序ある社会の実現をめざしていました。
そして、「互いに礼をするということが少なくなってくることは、社会学的に考えても大問題である」と述べたのは昭和の陽明学者・安岡正篤です。彼は、著書『東洋思想十講 人物を修める』(致知出版社)において、「人間はなぜ礼をするのか」という問題を提示しました。


人物を修める (致知選書)

人物を修める (致知選書)


「人間はなぜ礼をするのか」という問いに対して、安岡は「吾によって汝を礼す。汝によって吾を礼す」という言葉を示しました。
これは互いがお辞儀をする説明として、最も簡にして要を得た言葉だというのです。自分というものを通じて相手を、人を礼する。その人を通じて自分を礼する。互いに相礼する。つまり、人間たる敬意を表し合うのである。安岡は「本当の人間尊重は礼をすることだ。お互いに礼をする、すべてはそこから始まるのでなければならない。お互いに狎れ、お互いに侮り、お互いに軽んじて、何が人間尊重であるか」と喝破しました。


礼を求めて

礼を求めて


頭を下げて礼をするのは「相手の人のためにするのだ」と大部分の人は思っています。しかし、それは大違いであると、安岡正篤は言います。礼というものは、相手にすると同時に、自らが自らに対してするというのが本義だというのです。
あるとき、1人の雲水が師家を訪ねて、礼拝しました。
師家いわく、「お前はなぜ礼拝をしたのか」「はい、御師家を敬ってしました」と答えたところ、「それは礼ではない。礼というものは、汝に依って我を礼し、我に依って汝を正す」と師は述べたといいます。つまり、自分を通して相手にお辞儀をするとともに、相手を通して自分が自分にお辞儀をする。これが礼というものだというのです。
礼を求めて』(三五館)という著者があるくらい、いつも「礼」について考えているわたしですが、この安岡正篤の考え方には強い影響を受けました。



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2013年4月28日 佐久間庸和