人生を設計する


論語塾」の第11回目は、「人生を設計する」です。
今年の2月10日、北九州市が市制50周年を迎えました。
わたしも、もうすぐ50歳の誕生日を迎えます。


「リビング北九州」2013年4月5日号



50といえば「知命」の年とされますね。
これは、『論語』の次の言葉に由来します。
「吾れ十有五にして学に志す。
 三十にして立つ。
 四十にして惑わず。
 五十にして天命を知る。
 六十にして耳順(した)がう。
 七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず」〈為政篇〉



あまりにも有名な一節ですが、「わたしは15歳で学問を志した。30歳のときには独立した。40歳になってから、あれこれ迷わなくなった。50歳になったときには、自分の運命を受け入れられるようになった。60歳でようやく人の言葉を素直に聞くことができるようになった。そして、70歳になってからは、自分のやりたいことをやっても、道から外れないようになった」という意味になります。孔子は15歳からの人生設計について述べているわけですね。
では、それ以前の孔子が述べていない年代はどうすればいいのでしょうか?



15歳以前は、本人というよりも親から受ける教育が重要です。
15歳前のライフ・マネジメントを考え、実践したのは江戸時代の日本人でした。江戸の町人たちの間では、儒教をベースにした「思いやりの作法」としての江戸しぐさが盛んでした。
子どもの躾も「思いやり」を基本としました。それを「子育てしぐさ」といいますが、「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理(ことわり)で末(すえ)決まる」という言葉があります。
江戸の商人たちは、この言葉に表現される段階的養育を実践しました。



すなわち、3歳までは心を育む。6歳になるまでは手取り足取り口移しで、繰り返し真似をさせる。9歳までには、どんな人にも失礼のないものの言い方で応対できるようにする。12歳では文章を書けるようにし、15歳では物事の理屈をわからせる。
ここで大事なことは、心、躾、文、理という順番です。
心を教える前に、けっして躾をしてはならないのです。
江戸しぐさから『論語』へ・・・・・。日本には、このように素晴らしいライフ・マネジメントの智恵があったのです。というわけで、わたしは「知命」を迎える日を楽しみに待つことにします。


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年4月26日 佐久間庸和