友人について考える

論語塾」の第6回目は、「友人について考える」です。
豊かな人生を送るために、友人の存在はとても大切なものですね。
どんなにお金があっても、どんなに長生きをしても、友人のいない人生はさみしい。
まさに、友人は人生の宝物のような存在と言えるでしょう。


「リビング北九州」2012年10月27日号



孔子は、友人関係というものをどのように考えていたのでしょうか。
まず、良い友人と悪い友人の見分け方を次のように述べています。
「益者三友、損者三友。
直きを友とし、諒を友とし、
多聞を友とするは、益なり。
便辟を友とし、善柔を友とし、
便佞を友とするは、損なり。」〈季氏篇〉



「自分にとってプラスになる友人が三種類いる。自分にとってマイナスになる友人も三種類いる。正直な人、誠実な人、知識の深い人、こういう人を友人にするのはプラスだ。外見ばかりを気にする者、表面的にへつらってくる者、口だけ達者な者、こういう人たちを友人にするのはマイナスでしかない」という意味ですね。
外見を気にしてばかりいたり、卑屈だったり、口先だけの人間とは友人にならないほうがいいというのは、誰にでもわかるでしょう。そういう人間とつき合うことは、「百害あって一利なし」です。孔子の教えに従って、わたしは12年前に某悪友との交際を絶ちました。



それでは、孔子が考える本当の友人とはどのような存在なのか。
論語』には、次のように書かれています。
「朋友死して帰する所なし。
曰わく、我れに於いて殯せよ。
朋友の饋りものは、車馬といえども、
祭りの肉に非ざれば、拝せず。」〈郷党篇〉



「友人が死んで身寄りがいなかったら、わが家で葬儀をあげよう。また、友人からの贈り物は、どんなに高価なものであっても、物欲に負けて受け取ってはいけない。もらっていいのは、お祭りのお供えのおすそ分けだけだ」
古代中国の話ですが、「たとえ、亡くなった後でも友人のことを大事に考えているのが、本当の友情である」ということでしょう。
また、友人とは、利害でつながっているのではなく、心でつながっているのだから、みだりに高価な贈り物などしないほうがいいのです。プレゼントをもらえなかった、または、あげなかったからといって友人ではないのかといえば、そうではありません。たとえ、プレゼントを受け取ろうが、贈ろうが、そんなことは真の友情には何ら関係がないのです。


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年4月21日 佐久間庸和