神谷美恵子(1)


生きがいほど必要なものはない




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、精神科医神谷美恵子の言葉です。彼女は名著『生きがいについて』で、人間にとっての「生きがい」の問題を追求した人として知られています。


生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)


古代ギリシャの哲人ソクラテスは「一番大切なことは、ただ生きることではなくて、よりよく生きることである」と述べ、その弟子である哲学者プラトンも「人は、ただ生きるだけではなく、よりよく生きることを求める」と言いました。その「よりよく生きる」ためのエンジンとは、一般に「生きがい」と呼ばれるものでしょう。



ある意味でソクラテスプラトンよりも深く「生きがい」について考え抜いた人物こそ、神谷美恵子です。精神科医であった彼女は瀬戸内海の小島にある、ハンセン病の国立診療所に勤務した際に、180名の男性患者に文章完成テストを試みました。すると、ほとんど半数の患者が「将来に何の希望も目標も持っていない」と記したといいます。「毎日、時間を無駄に過ごしている」「無意味な生活を有意義に暮らそうと、無駄な努力をしている」「退屈だ」などと書いており、無意味感に悩んでいることがわかりました。


しかし少数の患者は、「ここの生活にはかえって生きる味に尊厳さがあり、人間の本質に近づくことができる。将来、人を愛し、己の命を大切にしたい。これは人間の望みだ。目的だ」というふうに書いたといいます。
何が両者の差を生んでいるのかと言えば、ずばりそれは「生きがい」でした。神谷は「人間がいきいきと生きていくためには、生きがいほど必要なものはないし、人間にこの生きがいを与えるほど大きな愛はない」と感じました。



彼女は、「生きがい感」というキーワードをあげ、その特徴なるものを次のように6つ紹介しています。「生きがい感」とは、
1.人に生きがい感を与えるもの
2.生活を営んでいくための実益とは必ずしも関係はない
3.やりたいからやるという自発性を持っている
4.まったく個性的なものであって、自分そのままの表現である
5.生きがいを持つ人の心に、ひとつの価値体系を作る性質を持っている 
6.人がその中でのびのびと生きていけるような、その人独自の心の世界を作る



この中でも、わたしは特に5の「ひとつの価値体系を作る」ということが重要であると思います。結局、リーダー、それも経営者の最大の仕事とは、部下に「働きがい」を超えた「生きがい」を与えることに尽きます。リーダーシップの本質とは、意義あるビジネスを生み出すこと、さらに言えば、意義ある人生を生み出すことにあるのです。



その最大の鍵は、「なぜ、この仕事をするのか」「なぜ、この会社で働くのか」という意味を部下に語り、その価値を部下に与えることが求められます。部下の心に、ひとつの価値体系を作るのです。そこから、部下の「生きがい」が生まれるのではないでしょうか。
なお、今回の神谷美恵子の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

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2013年8月18日 佐久間庸和

中村久子(2)


いのち、ありがとう




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は中村久子の言葉です。彼女は難病による両手両足の切断という重い障害を抱えながらも、72年の人生をたくましく生き抜いた女性です。
彼女は、多くの講演において「人生に絶望なし」と強調しました。
それとともに、日常生活においては「いのち、ありがとう」を口癖としました。
生涯、常に感謝の心を忘れなかったといいます。


こころの手足―中村久子自伝

こころの手足―中村久子自伝


晩年の久子は全国を講演して回り、障害者をはじめ多くの病で苦しむ人々に勇気を与え続けました。とにかく「ない」ということを悲しむのではなく、「ある」ということに感謝した彼女は、次のような詩を残しています。



「ある ある ある」


さわやかな 
秋の朝



「タオル取ってちょうだい」
「おーい」と答える
良人がある
「ハーイ」という娘がおる



歯をみがく
義歯の取り外し
かおを洗う
短いけれど
指のない
まるい
つよい手が
何でもしてくれる



断端に骨のない
やわらかい腕もある
何でもしてくれる
短い手もある



ある ある ある



みんなある
さわやかな
秋の朝



この中村久子の詩を初めて読んだとき、わたしは衝撃を受けるとともに、大きな感動をおぼえました。とにかく彼女は、すべてのものに感謝する姿勢なのです。
自分を取り巻くあらゆる環境にも感謝しています。そして、その彼女の感謝の思いを一語にした言葉こそ、「いのち ありがとう」でした。


わが母中村久子

わが母中村久子


大変な読書家でもあった久子は、『歎異抄』をはじめとした書物を愛読し、そこから無の世界を学んだそうです。久子の次女である中村富子氏は、「その母が無の世界から有の世界を見いだしました。無いと思って悲しむよりも、有ると知ったときの歓びはとても大きく、こころ豊かになりました」と著書『わが母 中村久子』で述べています。
手も肘から先が無いのではなく、肘から上が有るのです。足も膝から下が無いのではなく、膝から上が有るのです。中村富子氏は、「もろもろのもの、これだけしか無いのではなく、これだけ有るではないか・・・・・と、発想の有る無いの違いで、こんなにも心豊かになっていく。母はその嬉しさを詩に託しました」と述べています。



仏教には、「足るを知る」という教えがあります。
久子は熱心な仏教の信者でしたが、そもそも最初に「いのち」が与えられたこと自体に対して「ありがとう」と心からの感謝を捧げたのです。
なお、今回の中村久子の名言は『法則の法則』(三五館)にも登場します。


法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか

法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか

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2013年8月16日 佐久間庸和

坂本龍馬(3)


世に活物たるもの、みな衆生なれば、
     いずれを上下とも定めがたし




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、坂本龍馬の言葉です。龍馬は平等主義者でした。彼は、女性の職業・容貌・知能、その他もろもろに対して、いっさい差別しなかったといいます。女性をつねに1人の人間として尊重し、志を共有する同志として見なしていませんでした。だからこそ、千葉さな子も、寺田屋お登勢も、お龍も、その他にも多くいたであろう女性たちはみな、龍馬に深い愛情を注ぎ、渾身の協力を惜しまなかったのでしょう。


坂本龍馬 (講談社学術文庫)

坂本龍馬 (講談社学術文庫)


龍馬自身が商家の出身で郷士という下級武士でした。つまり身分が低かったのです。それもあってか、彼は何よりも差別を嫌い、女性のみならず、あらゆる人々に等しく接しました。
アメリカでは、馬の口取りが将軍や大名を選ぶ」という選挙の存在を知り、龍馬は人民平等思想を知ります。これに深く共感した彼は、後に土佐藩後藤象二郎に、「アメリカでは薪割り下男と大統領と同格であるというぞ。わしは日本を、そういう国にしたいのじゃ」と語ったといいます。平等主義者の龍馬がつくった海援隊には、「長」と名のつく役職は1つもありませんでした。幕府の身分制度や階級をそのまま踏襲した新撰組とは対照的です。


図解でわかる! ブッダの考え方 (中経の文庫)

図解でわかる! ブッダの考え方 (中経の文庫)


また、龍馬は、「世に活物(いきもの)たるもの、みな衆生なれば、いずれを上下とも定めがたし」との言葉を残しています。「この世の中の生きものというものは、人間も犬も虫もみな同じであり、上下などない」という意味ですが、これは幕末の当時にあって、とんでもない過激思想であったと言えます。司馬遼太郎は、この龍馬の言葉から、ルソーの『社会契約論』に出てくる「人は自由なものとして生まれた。しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているような者も、実はその人以上に奴隷なのだ」という有名な冒頭の言葉を思い出したと述べています。わたしは、ルソーというよりも、あらゆる生きとし生けるものの平等を説いたブッダの思想を連想してしまいます。
なお、この龍馬の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

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2013年8月15日 佐久間庸和

カエサル(3)


文章は、用いる言葉の選択で決まる




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、ローマの英雄ユリウス・カエサルの言葉です。
「リーダーとは言葉を操る者である」とはドラッカーの言葉であったと思いますが、まさにカエサルは史上最も言葉を操ったリーダーでした。カエサルは、当時のローマでも最高の読書家であり、また名文家であったことが知られています。
彼の著書『ガリア戦記』の格調高い文章からも、それが伺えます。
そして、彼は名文家であっただけでなく、演説の名人でもありました。


ガリア戦記 (講談社学術文庫)

ガリア戦記 (講談社学術文庫)


西欧社会では一貫してリーダーには弁論の才能が求められました。
古代ローマにおいて、演説の名手が2人いました。キケロカエサルです。
2人は文章も一流でしたが、演説も一流でした。カエサルの名言は、「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」など後世にも伝えられているものが多いですね。知識人受けするキケロの演説とは違って、カエサルの話は誰が聴いても強烈な印象を受けたといいます。


ローマ人の物語 (5) ユリウス・カエサル-ルビコン以後

ローマ人の物語 (5) ユリウス・カエサル-ルビコン以後


塩野七生氏の『ローマ人の物語(5)』には、ポンペイウスとの内戦が終わった後、カエサル軍団の軍団兵たちがボーナス要求のストライキを行なう場面が出てきます。
最初はカエサルの名代としてアントニウスが出向き、説得に当たりました。
しかし、兵士たちは聞き入れません。そこにカエサルが到着しました。



カエサルはまず、「戦友諸君、わたしは諸君から、愛される司令官でありたいと願っている。わたしほど諸君の安全を気にかける者もいないし、経済的に豊かになるよう配慮を忘れないし、戦士としての名誉が高まるように望んでいる者もいない。しかし、だからといって兵士たちに、何でも勝手を許すということにはならない」と担当直入に切り出し、水を打ったように沈黙したままの兵士たちに向かい、はっきりと「要求の受け入れは拒否する」と言ったのみならず、「十分の一刑」までを言い渡したのです。抽選で十分の一の人数を選び、残りの十分の九が棒で殴り殺すという最高の重罪です。ただし、「刑の執行は延期する。諸君の顔を次のブリンディシで見出すかどうかは、諸君次第である」と言い放って帰っていきました。



スト中の兵士たち全員がブリンディシに向かったことは言うまでもありません。そして、「十分の一刑」のほうは、うやむやに終わったのでした。塩野氏は、カエサルは語りかける相手やその状況にあわせて、適切な演説ができる人であったと述べています。
なお、今回のカエサルのエピソードは『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

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2013年8月12日 佐久間庸和

サン=テグジュぺリ(4)


真の贅沢とは、人間関係の贅沢である




言葉は、人の人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、サン=テグジュぺリの言葉です。彼は名著『人間の土地』で、「真の贅沢とはひとつしかない、それは人間関係の贅沢である」と述べました。


人間の土地 (新潮文庫)

人間の土地 (新潮文庫)


わたしたちが生きる社会において、最大のキーワードは「人間関係」ではないでしょうか。
社会とは、つまるところ人間の集まりです。そこでは「人間」よりも「人間関係」が重要な問題になってきます。そもそも「人間」という字が、人は一人では生きてゆけない存在だということを示しています。人と人との間にあるから「人間」なのです。
だからこそ、人間関係の問題は一生つきまといます。  



わが社では、「人間尊重」を大ミッションに、「冠婚葬祭を通じて良い人間関係づくりのお手伝いをする」を小ミッションに定めており、全社員がいつも「良い人間関係づくり」について考え、行動しています。具体的には、独身の若者や1人暮らしのお年寄り同士を紹介し合ったり、カルチャー教室を運営したり、旅行やイベントを企画・開催したり、さらには話題の隣人祭りを開くお手伝いなどをしています。



最近、参列者が1人もいないという葬儀が増えてきました。
そんな孤独な葬儀を「孤独葬」と呼びます。私も立ち会ったことがありますが、故人が気の毒で仕方ありませんでした。亡くなられた方には家族もいたでしょうし、近所の人や友人、仕事仲間もいたことでしょう。配偶者や子、孫もいたかもしれません。なのに、どうしてこの人は独りぼっちで旅立たなければならないのかと思えてならないのです。



現代日本社会では、「孤独死」が問題となっています。
しかし、それ以上に問題なのは「孤独葬」だと思います。
なぜなら、当然ながら誰でも人は1人で死んでいきます。
でも、誰にも見送られずに旅立つというのはあまりにも寂しいではありませんか。
遺影をながめながら「この人は何のために生まれ、何のために生きてきたのだろう」と思うと、本当にかわいそうで涙が出てきます。
映画「おくりびと」が世界的な話題になりましたが、人は誰でも「おくりびと」です。
そして最後には「おくられびと」になります。
サン=テグジュぺリの言うように、「真の贅沢とはひとつしかない、それは人間関係の贅沢である」ならば、多くの「おくりびと」を得ることが人間の最高の贅沢ではないでしょうか。
なお、今回の名言は『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)にも登場します。


人間関係を良くする17の魔法

人間関係を良くする17の魔法

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2013年8月11日 佐久間庸和

ドラッカー(5)


真摯さはごまかせない




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、経営学ピーター・ドラッカーの言葉です。
ドラッカーはリーダーシップについて語るとき、必ず「真摯さ」の重要性を説きました。
そして、彼は「真摯さはごまかせない」と述べています。


マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則


ドラッカーいわく、ともに働く者、特に部下には、上司が真摯な人間であるかどうかは数週間でわかるといいます。彼らは、上司の無能、無知、頼りなさ、態度の悪さには寛大ですが、真摯さの欠如だけは絶対に許しません。また、そのような上司を選ぶ者も許しません。上司と部下には、当然ながら「信頼」が求められます。信頼なくして従う者はいません。
では、信頼とは何でしょうか。ドラッカーは、『未来企業』で述べています。
「信頼するということは、リーダーを好きになることではない。つねに同意できることでもない。リーダーの言うことが真意であると確信をもてることである。それは、真摯さという誠に古くさいものに対する確信である。」(上田惇生訳)


未来企業―生き残る組織の条件

未来企業―生き残る組織の条件


上司は部下の「強み」を生かさなければなりません。それがマネジメントということです。
しかし、部下もまた上司をマネジメントするのです。そして、その方法も、上司の「強み」を生かすことです。ドラッカーは述べます。
「上司をマネジメントするということは、上司と信頼関係を築くことである。そのためには、上司の側が、部下が自分の強みに合わせて仕事をし、弱みや限界に対して防御策を講じてくれるという信頼をもてなければならない。」(上田惇生訳)
お互いに「強み」を生かしあうことからくる信頼関係も、その前提に真摯さというものが欠かせないのです。なお、今回のドラッカーの名言は『最短で一流のビジネスマンになる! ドラッカー思考』(フォレスト出版)にも登場します。


  

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2013年8月10日 佐久間庸和

中村天風(4)

「美」とは調和である




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、異色の哲学者・中村天風の言葉です。
天風は、「『美』とは調和である」と言いました。どんなに名人が描いた絵でも、彼が感心しないときは、調和がとれていない絵だそうです。逆にどんな下手な人が描いた絵でも、調和がとれていれば、これは本当の美術であるというのです。


運命を拓く (講談社文庫)

運命を拓く (講談社文庫)


自然界は調和のとれた世界です。自然に触れると感動するのはそのせいですが、さらにわたしは自然に接すると懐かしい気持ちになります。なぜでしょうか。
自然界は、ある力に満ちています。それは、偉大な百合の花を咲かせる力です。それはつまり、わたしたちが言葉を発し、叫び、泣き、笑い、感動するエネルギーの根源でもあります。美しい花を見て、「ああ、きれいだなあ」と感じるとき、わたしたちの原感情はおそらく「かなしい」のではないでしょうか。あまりにきれいなものや美しい光景に接すると、わたしたちは感動のあまり泣けてきます。涙が出てくるというのは、基本的には「かなしい」のです。「かなしい」というのは「愛しい」と同じです。あまりに愛すると、かなしくなります。つまり切なくなるのです。そして、この「かなしい」は「なつかしい」でもあります。



かなしい、愛しい、切ない、なつかしい……これらの原感情は、わたしたち人間にとって原初の情動です。わたしは、人間がこの世に生まれる前にいたハートピア・ゼア、つまり、あの世の理想郷である天国の記憶が瞬間的によみがえったとき、人間の原感情が発動するのだと思っています。そして、これらの原感情が意識化されたものが「美意識」なのでしょう。天国とは、自然界よりもさらに調和のとれた世界であると言ってもよいと思います。



安岡正篤は、こう述べました。何億年か何十億年か経って、ようやく造化は心というものを発展させてきた。人間はその造化が開いた心を主体とする存在である。だから肉体がいくら立派になっても、それは動物並である。肉体と共に心が磨かれ発達して、初めて人間となる。芸術もその人間の心ができていないと、真の美とは言えないというのです。



松下幸之助は、経営者とは広い意味で芸術家であると述べました。経営そのものが一種の芸術である、と。画家が一枚の白紙に絵を描き、平面的に価値を創造するごとく、経営者は立体というか、四方八方に広がる広い芸術をめざしている。
だから経営とは、総合的な生きた芸術であるというのです。 


凛の国  美しい日本の精神遺産 (講談社+α文庫)

凛の国 美しい日本の精神遺産 (講談社+α文庫)


わたしの仲人であり恩師でもある元東急エージェンシー社長の故・前野徹氏は、いつも「美点凝視」という言葉を口にされていました。
人と接するときは、その人の美しいところだけを凝視せよというのです。
50歳を迎えて、最近しみじみと恩師の言葉が心によみがえってきます。


わが人生の「八美道」

わが人生の「八美道」


また、わたしの父である佐久間進サンレーグループ会長は、「正しいことはわからないが、美しいことならわかる」というメッセージを綴った『わが人生の「八美道」』(現代書林)を上梓しました。佐久間会長の美の追求は、究極的に「冠婚葬祭」に集約されます。
本日、8月8日、佐久間会長が初代会長を務めた一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会の創立40周年記念式典が開催され、佐久間会長もスピーチをすることになっています。
その佐久間会長の大の愛読書が、中村天風の一連の著書であります。
なお、今回の天風の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

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2013年8月8日 佐久間庸和